「カントリーハウス(Country house )」は、田園に建つ邸宅です。大きさもスタイルも生い立ちもさまざまです。

イギリスの田舎にあるお屋敷の漠然としたイメージを整理してみました。印象にのこった解説やエピソードをかいつまんで、ここに紹介します。

主な情報元はEnglish country houseカントリー・ハウスです。また、本シリーズのテーマであるジェーン・オースティンの時代(18世紀末~19世紀初頭)についての情報元はGeorgian society in Jane Austen’s novelです。

文中には専門家のように断言している部分がありますが、Wikipedia(EN) をまんま翻訳しただけです。わたしはただの旅行好きで、時代小説を楽しみたいだけのオバさんです。お気づきの点はご連絡いただけると、とても助かります。

カントリーハウスとは

要塞化されていない田舎の邸宅のこと

じつは壮大な宮殿(palace)も小さな田舎の邸宅(country house)も、総じて「カントリーハウス」と呼ばれます。共通するのは田舎にあること、そして要塞化されていないことです。

戦争に明け暮れていた世の中が、少し落ち着きを見せ始めたテューダー朝の時代(おおよそ500年前)から、要塞ではない豪邸が建てられるようになりました。これがカントリーハウスのはじまりです。

基本的に要塞化されたものは城(Castle)と呼ばれ、パレス(Place / 宮殿)とは区別されます。(要塞ではないのに城と名付けられたハイクレアキャッスル*1のような例外もありますが。)

*1…Highclere Castle By Richard Munckton from Windsor, Melbourne, Australia – Downton Abbey (Highclere Castle), CC BY 2.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=17688007

これらの邸宅は荘園における農業社会の中心としての機能は中世期のマナー・ハウスと変わらなかったが、その建築様式、内装、内部構造などが変化していた為にカントリー・ハウスという名称で呼称されるようになった。 カントリー・ハウスの成立

カントリー・ハウスよりも小規模な建物についてはファームハウス (farmhouse) 、コテジ (cottage) 、レクトリ (rectory) 、オースト・ハウス (oast house) などと呼称された。 カントリー・ハウスの概要

サイズもスタイルもいろいろ幅広い

ロバート・ヘンリー・ハーリング*2というひとが記録したカントリーハウス*3には、次のようにサイズもスタイルも幅広いものが含まれています。

*2…Robert Henry Harling (1910 – 2008)
*3…正しくは「スティリーホーム(stately homes)」。カントリーハウスと置換え可能な言葉とされている。

▼壮大なブレナム宮殿*4

*4…Blenheim palace By Blenheim Palace – Own work, CC BY-SA 4.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=37193449

▼小さなエバーストンホール*5

*5…Ebberston Hall By Phil Catterall, CC BY-SA 2.0, Link

▼ルネサンス様式のハットフィールドハウス*6

*6…Hatfield House By Starlingjon at English Wikipedia, CC BY-SA 3.0, Link

▼風変わりなセジンコート*7

*7…Sezincote By Bs0u10e01Own work, CC BY-SA 4.0, Link

▼ジョージ4世のロイヤルパビリオン*8

*8…Royal Pavilion By QminOwn work, CC BY-SA 3.0, Link

一般的なカントリー・ハウスには主棟に隣接して庭園 (garden) が付随しており、さらにその外側にはパーク (park) が設けられている。 パークは家畜の飼料および景観の観点から創られる。今日に英国庭園と称されるものの多くはカントリー・ハウスに設けられたものである。 カントリー・ハウスの概要

カントリー・ハウスを所有するには、19世紀以前では1000エーカー (4 km2) の土地が必要とされた。 これは最小値であり、この数百倍もの広大な土地を所有する貴族も存在したため一概にカントリー・ハウスといってもその規模には幅がある。 (中略) 19世紀に入ると1832年の改正選挙法の施行と産業資本家の勃興によって彼らの社会的地盤が揺らぎ始めた。 新興の富裕商たちは自身の地位を上げようとカントリー・ハウスの建設や買収を行い、以前の時代には必須であったカントリー・ハウスと大規模土地所有との関係は薄れていった。 カントリー・ハウスの概要

貴族やジェントリが所有していた

カントリーハウスを所有していたのは貴族や裕福なジェントリ(地主階級)の人々です(上流階級の序列)。

大貴族は街と田舎の両方に邸宅を構えていました。 「カントリーハウス」という総称は、街の邸宅タウンハウス(Town house)に対しての、田舎の邸宅(country house)という意味があります。都会と田舎を行き来する生活のコントラストを表すことばです。

とはいえ、タウンハウスをもたずにカントリーハウスだけを所有するジェントリ(地主階級)のほうが数では勝っていました。

宮殿を所有する最上流の貴族階級も、小さなマナーハウスを所有するジェントリ(地主階級)も、カントリーハウスに居住する人びとは総じて支配者層でした。 程度の差こそあれ、彼らは政治への強い影響力をもっていたし、領地またはカウンティを運営していたからです (国王を代理する地方政府、治安判事、ときに聖職者として)。

カントリー・ハウスは頻繁に上流階級の会談の場(例えば議員選挙の相談など)として使用された。 それに加えカントリー・ハウスの所有者には総督や治安判事として働く者が多く、19世紀に入っても地方裁判がカントリー・ハウス内で行われている。 20世紀に入ってもカントリー・ハウスの主人である貴族・ジェントリ層は社会における重要な役職に就き続けた。 20世紀後半に保守党政治家として外相やNATO事務局長を務めたピーター・キャリントン (第6代キャリントン男爵)はこのような者たちの最後の例であろう。 カントリー・ハウスと社会

貴族の暮らし

貴族は、貴族と結婚し可能なかぎり単独相続を習慣としていたので、結果として複数のカントリーマンションを所有することがよくありました。彼らは季節ごとに各カントリーハウスを訪れて、スコットランドで鴨狩を、イングランドでキジ狩とキツネ狩りを行いました。

たとえばローズベリー伯爵*9は、スコットランドにダルメニーハウス*10を所有し、バッキンガムシアにメントモアタワーズ*11を所有し、エプソム*12のちかくには競馬シーズン用に別邸を構えていました。

このような生活は、1914年をさかいに減退しはじめますが、現在でもごくわずかな人によって続けられているそうです。

*10…Dalmeny House By Jonathan OldenbuckOwn work, CC BY-SA 3.0, Link
*11…Mentmore Towers By Alex from The Chiltern Hills, England – My House …, CC BY 2.0, Link

*9…Earl of Rosebery  / *12…Epsom

労働者にとっては最も安定した就職先

カントリーハウスは、少数の貴族のための娯楽のオアシスであっただけでなく、彼らの世界の中心であり、数百人の雇用も生み出しました。労働者にとっては最も安定した就職先で、寝る場所も提供されたため、幸運とさえ言うことができたのです。

カントリー・ハウスは田舎における社会単位の中心であり、その荘園では数百人もの人々が労働していた。 荘園内における労働者は無料の宿泊施設と安定した雇用を確保されており、一般の農民とは一線を画している。 さらにカントリー・ハウス内部で働く家事使用人はさらに恵まれた環境にあった。 彼らは毎夜ベッドで眠り、仕立てられた服を着け、一日三食の食事を与えられていたが、これらは20世紀以前の下流階級では特筆すべきことであった。 一方で主人から支払われる賃金は非常に少なかった。 Wikipedia

それなりに社会に貢献

実際のジョージアン社会(18世紀~19世紀初頭)で、デヴォンシャ―の公爵は、彼のチャッツワースハウス(Chatsworth House)で180人の使用人(household)を維持していた。 使用人の食料だけでも、1週間で5頭の牛、15頭の羊が食肉処理されたという。 悪天候が続き燃料が不足する冬には、その巨大な調理場をつかって、最も貧しい村人に分配するための「濃いスープ」がつくられる慣習があった。 Georgian society in Jane Austen’s novel

ジェーン・オースティン小説のカントリーハウス

『高慢と偏見』に描かれたダーシーの邸宅ペムバリー

ジェーン・オースティンの小説『高慢と偏見』(1813年) はカントリー ・ハウスが描かれた最も著名な小説作品の一つである。 数名の使用人を擁したファームハウスに住む主人公エリザベスの父ベネットは、付近のカントリー・ハウスを新たに買い取った商家の子ビングリーと交際する。 ピングリーの邸宅ネザーフィールドにおいては、付近の中流階級に属する人々を招待し舞踏会が開かれるなど、地域における社交の場として利用されている。 さらに彼よりも地位と財産を有する友人ダーシーの邸宅ペムバリーとそれに付随する広大な風景式庭園も登場する。 フィクションの舞台として

「カントリー・ハウスを新たに買い取った商家の子ビングリー」と書いてありますが、購入じゃなくて賃借だった気もします…。ともあれ、つづきます↓

ライム・パーク By Julie Anne Workman – Own work, CC BY-SA 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=28721898

興味深い事に主人公一行がこの邸宅を観光でおとずれる場面が存在し、ハウスキーパーによって内部を案内されている。 作品中の記述によると、ベネットとビングリーおよびダーシーの年収はそれぞれ2000ポンド、5000ポンド、1万ポンドである。 映画化作品においては実際のカントリー・ハウスがロケ地として使用された。 原作が忠実に再現されているとして評価の高かったBBC製作、コリン・ファース主演の1995年のテレビシリーズにおいては、ペムバリーの外観にはライム・パークを、内部の撮影にはサドバリー・ホールが使用された。 フィクションの舞台として

サドバリー・ホール By David Dixon, CC BY-SA 2.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=44210036

小説と映像化作品の一覧 18世紀末~19世紀初頭(ジョージアン末期 / リージェンシー) 深入りジェーン・オースティン世界《1》

ジェーン・オースティンの小説と映像化作品の一覧を紹介 主要作品一覧(6点) 分別と多感(Sense and Sensibility、1811年)/高慢と偏見(Pride and Prejudice、1813年)/マンスフィールド・パーク(Mansfield Park、1814年)/エマ(Emma、1815年)/ノーサンガー・アビー(Northanger Abbey、1817年)/説得(Persuasion、1818年)

カントリーハウスの衰退~現在

1870年の農業不況で資金不足に

カントリーハウスのゆるやかな衰退は、1870年代の農業不況近*14と近代産業が関係しています。 上流階級の収入を支えていたのは主に領地での農業生産でしたが、アメリカの広大な土地で食物が栽培され、蒸気船の登場によって輸送も安価になると、イギリスの農業は打撃を受けることになりました(回復するのは第二次大戦後)。

*14…Great Depression of British Agriculture

カントリーハウスを維持するにじゅうぶんな収入が得られなくなったオーナーは資金不足におちいりました。 銀行やトレードなどの第二資源に頼れる者は、これに頼りました。 あるいはまた、困窮したマールボロ公爵*15のように、アメリカの資産家令嬢との結婚によって、カントリーハウスと生活スタイルを維持しようとするひともいました。

*15…Duke of Marlborough

19世紀末の貴族を描いたフィクション「ダウントンアビー」のご主人の奥様も、アメリカの資産家令嬢でしたね。

第一次世界大戦で人手も不足

まもなく、第一次世界大戦がはじまります。 大規模なカントリーハウスを維持するために必要なスタッフは、戦闘のために、または軍需工場で働くために、あるいは別の職場の人材不足をおぎなうために、カントリーハウスを去りました。

そして戦後に生還した人びとのおおくは、田舎にはもどらずに、都会でより良い賃金を得られる職に就いたのです。

第二次世界大戦で後継者を失う

第二次世界大戦が追い打ちとなりました。 戦時中、カントリーハウスは国の要求に従って提供され使用されましたが、戦後にオーナーの手元にもどったときには修理が必要な状態となっていました。

いまや税金があまりにも高額となるいっぽうで、主たる収入源であった農業はふるいませんでした。 二度の戦争によって後継者が亡くなっているケースも多く、遺された手段は、家具や美術品をオークションにかけて売ることでした。 さらにカントリーハウスを解体してその建材である石や、暖炉、パネルまでもが売り払われたのです。

こうしてイギリスの多くの邸宅が姿を消してしまいました*16

*16…hundreds of country houses were demolished

大戦が勃発すると、上流階級に属する若者たちの多くがノブレス・オブリージュ*17の伝統に従ってフランドル戦線へと出征し、二度と故郷へ戻らなかった。 (中略) 主に兵舎として利用されたカントリー・ハウスは戦争中ほとんどメンテナンスを受けておらず、終戦後もそのままの状態で返却された。 カントリー・ハウスの凋落

*17…直訳すると「高貴さは(義務を)強制する」を意味し、一般的に財産、権力、社会的地位の保持には義務が伴うことを指す。

解体されずに遺ったカントリーハウスの現在

*19…Chatsworth By Douglal – Own work, CC BY-SA 4.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=89593792
解体されずに遺ったカントリーハウスの多くは現在、ホテル、学校、病院、博物館、または刑務所として使用されています。 あるいは邸宅の所有権が、プライベートトラスト(private trust*18)に譲渡されるなどしています。 チャッツワース*19はその代表例です。

18…(private trust)Types | Trust law

The White Drawing Room at Houghton Hall / By Andrewrabbott – Own work, CC BY-SA 4.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=80577020
美術品や家具を、国立または地元の美術館に譲渡し、邸宅内で展示用に保管しているケースもあります。 たとえば現在ビクトリアアンドアルバート博物館*20によって保有されているのホートンホール*21のタペストリーや家具などがその例です。

*20…Victoria and Albert Museum  / *21…Houghton Hall

こうすることで、前オーナーは、美術品をほうぼうに売り渡すことなく、税金を相殺することができます。 近年は、結婚式や民間式典のライセンスをもつカントリーハウスも増えてきています。 このほかの収入手段として、邸宅をパーティの開催地としたり、撮影ロケ地として提供することもあります。

多くのカントリーハウスが一般に公開されるようになりましたが、その一部分に従来の所有者の子孫が住んでいる場合もあります。

20世紀初頭のカントリーハウスでの生活様式が、BBCテレビ番組エドワードカントリーハウスで再現されました。 ロケ地はスコットランドのマンダーストンハウス*22です。 また、連続ドラマではダウントンアビーが人気です。

*22…Manderston House

近代以降の人口増加および都市の肥大化によって、周囲が都市の郊外に呑込まれたカントリー・ハウスもある。 このような邸宅も現在カントリー・ハウスと呼称されている。 カントリー・ハウスの概要

深入り…

カントリーハウスについて調べてみるとおもしろく、つい深入りしてしまったので、深入りした部分は以下のページにまとめました。

  • 3つのタイプ…宮殿も小邸宅も総じて「カントリーハウス」。意味が広すぎるカントリーハウスを3つに分類。
  • 時代ごとの特徴…規模も姿も所有者もさまざまなカントリーハウスの500年の略史。
  • パッラディーオ建築…ジェーン・オースティン小説に見られるパッラディーオ建築。

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