16世紀のイギリス(年表付き)
       

イングランドでは、15世紀後半にヨーク家VSランカスター家による王位継承戦争(通称:薔薇戦争)がおこりました。最終的に王位を勝ち取ったのはランカスター傍系の血を引くヘンリー・テューダー(ヘンリー7世)でした。彼の王位継承権は主に母方の系統に由来するものですが、父方の家名をとってテューダー朝と呼ばれます。

ヘンリー7世の王位継承権は弱かったのですが、一連の争いで上位の継承権者が戦死・殺害・刑死のためすでに世を去っていました。また、彼はヨーク家のエリザベスと結婚し両家の争いを終結させました。

二人の間には男児アーサーとヘンリー、女児マーガレットが生まれました。しかし長男のアーサーは病気のため15歳で世を去り、弟が即位してヘンリー8世となります。

ヘンリー8世

図:Portrait of Henry VIII after Hans Holbein the Younger, c. 1537–1547 (C)

ヘンリー8世はローマ・カトリック教会から分離してイングランド教会を独立させ、その生涯で6度の結婚をしたことで有名です。始まって間もないテューダー朝を盤石にするため男子の跡継ぎを強く欲したためだと云われています。

マーガレットはスコットランド王ジェームズ4世と結婚しました。これは両国の平和を意味するとともに、二人の子孫にイングランド王位継承権が与えられることにもなりました。

扉絵:Churche’s Mansion, Hospital Street, Nantwich Churche’s Mansion is a grade-I-listed black-and-white timber-framed Elizabethan mansion house. It was built for Richard Churche, a local merchant, and his wife Margerye by Thomas Clease in 1577, and is one of the few buildings to have survived the Great Fire of Nantwich of 1583. (C)

For more information, see: http://en.wikipedia.org/wiki/Churche%27s_Mansion

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1503年

スコットランド王ジェームズ4世がイングランド王ヘンリー7世の娘マーガレットと結婚する

1509年

ヘンリー7世が崩御し、次男のヘンリーが即位して(ヘンリー8世)兄アーサーの未亡人キャサリンと結婚する

1513年

スコットランド王ジェームズ4世がフロドゥンの戦いでイングランドに大敗し戦死する

ヘンリー8世がフランス(当時の王はルイ12世)へ侵攻したため、スコットランド王ジェームズ4世は「イングランドとの平和条約」と「フランスとの古い同盟」の板挟みになった末にイングランドに宣戦布告していた

1515年

トマス・ウルジーが大法官になる

1517年

ドイツのマルティン・ルターが『95ヶ条の論題』をヴィッテンベルクの教会に掲出

1527年

ヘンリ-8世がローマ教皇にキャサリンとの結婚の無効を訴える(男の世継ぎを欲していたが、キャサリンが男児を産めなかったため)

1533年

カンタベリー大司教にキャサリンとの結婚の無効を宣言させ、アン・ブーリンと結婚する

1533年

アン・ブーリンが女児を出産(エリザベス)

1534年

ヘンリー8世が、英国国教会(ローマ教皇庁から離れ独立した教会)の長になる

1536年

イングランドとウェールズの関係を正式化する目的でイングランドの法制度をウェールズに導入 英語(English)が公用語になる

1536年

アン・ブーリンが処刑される

ヘンリー8世がジェーン・シーモアと再婚し、男児(後のエドワード6世)が誕生するが、ジェーン・シーモアは産褥死する

1541年

ジョン・ノックスがスコットランドで宗教改革を始める

1542年

スコットランド王ジェームズ5世が死去し、生まれたばかりの娘メアリーに王位を継承する

1547年

ヘンリー8世が死去し、息子のエドワードが9歳で王位を継承し(エドワード6世)、宗教改革を進める

ジェーン・グレイの処刑(19世紀の画)

図:The Execution of Lady Jane Grey, by the French painter Paul Delaroche, 1833. National Gallery, London. (C)

1553年

エドワード6世が15歳で死亡し、ヘンリー8世が制定した継承順位に反してエドワードの従妹ジェーン・グレイが戴冠する。しかし数日後にエドワード6世の姉メアリーが正統な女王として即位して、ジェーン・グレイはのちに反逆罪で斬首刑となる。イングランド女王メアリー1世の母は、ヘンリー8世の最初の妃キャサリン。

メアリー女王

図:Mary I Portrait by Antonis Mor, 1554 (C)

1554年

メアリー女王がスペインのフィリップとの婚姻を成立させる

イングランド女王メアリー1世がカンタベリー大司教のトマス・クランマーを処刑する(かつてヘンリー8世と母キャサリン王妃の結婚の無効を承認したため。またメアリー1世は敬虔なカトリック信者だったため、プロテスタントを迫害し女性や子供を含む約300人を処刑した。)

イングランドがフランスに所有していた最後の領土カレーを失う

イングランド女王エリザベス1世

図:Elizabeth I in her coronation robes, patterned with Tudor roses and trimmed with ermine (C)

1558年

メアリー女王は子がないまま死去し、異母妹のエリザベスが王位を継承する(エリザベス1世の母は、アン・ブーリン)

1577年

サー・フランシス・ドレーク(Sir Francis Drake)が世界一周航海に旅立ち1580年にイングランド南西部の港市プリマスに帰還する(イングランド人として初めて世界一周を達成)

1587年

スコットランド女王のメアリー・ステュアート(ヘンリー7世の曾孫にあたる)が、エリザベス1世の殺害を企てたとして処刑される

1588年

アルマダ海戦でイングランドがスペインの無敵艦隊を討つ

1591年

劇作家シェイクスピアの脚本が初めて上演された年

テューダー朝の系図

テューダー朝の系図(wikipedia)

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