「カントリーハウス(country house)」という総称には、壮大な宮殿から小さな邸宅までが含まれます。共通している点として:

  1. 田舎に建っていること
  2. 要塞ではないこと
  3. 1500年頃より後に豪邸 / 邸宅として利用されたこと

などが挙げられます。 でも明確な基準はありません。 あいまいな呼称です。 荘園領主の舘「マナーハウス」も、ほぼカントリーハウスの一種と言うことができます。

時代も大きさもスタイルもあまりに幅がひろいので、分類したくなった私は Wikipedia(EN) に頼ってみました。「建築の事情」によって3種にカテゴライズできるそうです。

以下、全体的に単なる翻訳ですが「時代ごとの特徴」と「3つのタイプ」そして「ジェーン・オースティン小説に描かれるカントリーハウス」について、それぞれ写真を添えて紹介します。

主な情報元はEnglish country houseカントリー・ハウスおよびGeorgian society in Jane Austen’s novelです。 文中には専門家のように断言している部分がありますが、Wikipedia(EN) をまんま翻訳しただけです。 わたしはただの旅行好きで、時代小説を楽しみたいだけのオバさんです。

お気づきの点はご連絡いただけると、とてもありがたいです。

カントリーハウスの歴史

およそ500年前からはじまる

イングランドにカントリーハウスがあらわれはじめたのは、およそ500年まえです。 時代区分としては、中世がおわり近世にさしかかったあたりです。 それ以前の巨大な建物といえば、たいてい戦いのための要塞/城塞(封建領主の城)でした。

テューダー朝(1485-1603)*1が開かれると、ようやく世の中が落ち着きを見せ始めます。 こうしてはじめて「要塞ではない」巨大な建築物があらわれることになりました。

*1…英仏百年戦争につづく内輪もめの薔薇戦争(王位継承争い)を経てヘンリー7世によって開かれた王朝

わかりやすいカントリーハウスの歴史をひもとく①
住み心地の悪い城は疎んじられ、人々は気にいった場所に…

元・修道院 ー16世紀

Buckland Abbey / By Ben Bender, CC BY-SA 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=59089249

カトリック教会から離脱したヘンリー8世(在1509 – 1547)*2は、修道院を解散させて建物(Monastery)をお気に入りの臣下に分け与えました。

このような旧修道院は、個人所有のカントリーハウスへと転用されることになりました。 名称の末尾に「アビー / abbey」とか「プライオリ / priory」と付くものは、もと大小の修道院だったことを表しています。 (まったく関係ないってケースもありますが)

*2…カトリック教会を脱して英国国教会を成立させた王

わかりやすいカントリーハウスの歴史をひもとく②
国の3分の1を所有していたとも言われる教会の財産が再分配されたことで、新興支配階級たちは…

マンションの登場 ー16世紀後半

The façade of Burghley House / By Anthony Masi from UK – Burghley House #2.jpg, CC BY 2.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=6586025

エリザベス1世(在1558 – 1603)の治世の後半からジェイムズ1世(1603 – 1625)の治世にかかる時期に、マンション(mansion)が登場します。 建築家によってデザインされました。

(日本語でマンションというと集合住宅ですが、英語のマンションは豪邸を意味します。)

有名なものとして、バーリーハウス*3、ロングリートハウス*4、 ハットフィールドハウス*5が挙げられます。

またモンタキュートハウス*6もこの時期に建てられました。 この邸宅には、ヨーマン*7身分から身を起こしジェントリ(Gentry / 地主)階級となっていた家系の Sir Edward Phelips とその後継者が、400年にわったって暮らしました。

*3…バーリーハウスBurghley House  / *4…ロングリートハウスLongleat House  / *5…ハットフィールドハウスHatfield House  / *6…モンタキュートハウスMontacute House  / *7…独立農民、自由農民、上層農民

マンションの主人たちは国王に訪問してもらうために、人目を引くデザインを好みました。 城塞建築にならって塔や尖塔をそなえたスタイルが流行りました。

初期パッラディーオ様式 ー17世紀

Queen’s House in Greenwich, South East London, United Kingdom. / By Bill Bertram – Own work, photo rotated, croped, some people in the foreground removed., CC BY-SA 2.5, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=691705

チャールズ1世(1625 – 1649)の治世の頃になると、新たなスタイルがイングランドで脚光をあびるようになります。 パッラーディオ建築*8というスタイルで、建築家イニゴ・ジョーンズ(Inigo Jones)の名前とともに広まり、それまでのイングランドの建築をすっかり様変わりさせました。

*8…古代ギリシャ・ローマ時代の神殿建築を基調とした、左右対称の構造を特徴とする建築様式

わかりやすいカントリーハウスの歴史をひもとく③
イギリスで初めて建築家という肩書を使ったInigo Jones (イニゴ・ジョーンズ)が登場します。彼は画家としてイタリアに留学しましたが…

バロック様式 ー17世紀・18世紀前半

Blenheim Palace, Oxfordshire: an enfilade of nine state rooms runs the length of the palace / By Giano – This file was derived from:  Blenheim Plan.gif, Public Domain, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=48860514

パッラディーオ様式はしかし、ヨーロッパで広く流行ったバロック様式のまえに一時、影をひそめます。

この時期に建てられた有名なカントリーハウスは、チャッツワースハウス*9、ブレナム宮殿*10などが挙げられます。 公爵位の貴族の邸宅でした。

バロック様式のアパートメント「エンフィレイド*11」がもちいられた所帯では、小さなつづき部屋を得てプライベート空間をもつのも珍しいことではありませんでした。 バロック様式は18世紀のなかばまで流行しました。

*9…チャッツワースハウスChatsworth House  / *10…ブレナム宮殿Blenheim Palace  / *11…enfilade

全盛パッラディーオ様式 ー18世紀・19世紀

Hopetoun House, designed by William Adam and modified by the Adam Brothers / Photo By George Gastin – Own work, CC0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=14969786

新古典主義のブームでギリシャ風スタイルが流行りはじめると、建築家ロバート・アダム*12らに見出されて、パッラディーオ様式がふたたび支持されるようになります。

*12…Robert Adam

わかりやすいカントリーハウスの歴史をひもとく④
裕福な階級の子弟が当時文化的な先進国であったフランスとイタリアに遊学するグランドツアーが…
ジェーン・オースティン小説に見られるパッラディーオ建築

以下の枠内は、注釈と添付写真をのぞいてほぼまるまるCountry houses and parks, and their ownersからの翻訳です。

18世紀のイギリス(ブリテン島)は非常に多くの富が生み出された時代です。上流階級の人びとは豪華なカントリーハウス(country house)を所有し、居住または滞在しました。(中略)

18世紀の初頭に造られた豪邸とマナー(荘園)は、パッラーディオ建築*13というスタイルです。 このスタイルの有名な建築士は William Kent で、より自由に進化させたのが Robert Adam です。

*13…古代ギリシャ・ローマ時代の神殿建築を基調とした、左右対称の構造を特徴とする建築様式。

Kedleston Hall. The south front by Robert Adam, based on the Arch of Constantine in Rome / Photo By Hans A. Rosbach – Own work, CC BY-SA 3.0, Link

「高慢と偏見」に登場するレディ・キャサリン・デ・バーグの邸宅、そして「マンスフィールドパーク」は、いずれとも"モダン"と述べられており、 Robert Adam の建築様式だろうと想像できます。

この時期の裕福なオーナーは、彼らの邸宅と周辺の土地の景観を美しくするため、そして建物の窓から見えるアプローチと景色もより印象的で素晴らしものにするために、多くの時間とお金を充てました。

イングランドの有名な造園家 “Capability” Brown は、まさにこの時代に活躍した人物です。 彼のニックネーム Capability (可能性、将来性、資質)は、彼が好んだ表現に由来しています:”a great capability of improvement “。

イングランドの私有地の美しさは国民性のシンボルにもなりました。 1780年、 Horace Walpole は、「イングランドの風景式庭園」と「フランスのレイアウトされた庭園」を対比させて、フランスのそれは「独裁政権を証言するもの」と言っています。

当時の人々がこうした風景の美しさに夢中になっていたことは「マンスフィールドパーク」に垣間見ることができます。 ミスター・ラッシュワース(Mr Rushworth)は、ながい議論のなかで彼の Sotherton house の庭と景観の美化について、彼の熱意を述べています。

At Blenheim Brown dammed the paltry stream flowing under Vanbrugh’s Grand Bridge, drowning half the structure with improved results ・photo By Boddah at English Wikipedia – Taken by Boddah on 11th January 2006 and placed in the public domain., Public Domain, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=2654335

邸宅までシンプルに芝を拡張した “Capability” Brown 、彼につづいた Humphry Repton は、それらをよりソフトなものにしました。 これもフランス流の庭園に逆らったリアクションでした。 Repton は、Gloucestershire (ジェーン・オースティンのいとこ Leighs も住んでいた地域 )の Adlestrop House の広大な庭を造りなおしました。 邸宅の庭を隣接する牧師館の庭と合体させて小川をくねらせたことで、邸宅からも牧師館からも称賛されうる素晴らしい景観を構成したのです。。

イングランドの美しい庭園の描写はジェーン・オースティン小説のなかに繰り返しでてきます。それは William Cowper が書くイングランドの田舎の詩とも結びつけられました。 彼女が描く庭園と邸宅の様子は、その大邸宅そのものとおなじくらい重要といえます:

| Pemberley | was a large, handsome, stone building, standing well on rising ground, and backed by a ridge of high woody hills – and in front, a stream of some natural importance, was swelled into greater, but without any artificial appearance. Its banks were neither formal, nor falsely adorned Elizabeth was delighted. She had never seen a place for which nature had done more, or where natural beauty had been so little counteracted by an awkward taste.  — Jane Austen, Pride and Prejudice

こうした美学の原則との完全な調和は Thomas Whately の Observations on Modern Gardening (1770)によって助長されました。

小説と映像化作品の一覧 18世紀末~19世紀初頭(ジョージアン末期 / リージェンシー) 深入りジェーン・オースティン世界《1》

ジェーン・オースティンの小説と映像化作品の一覧を紹介 主要作品一覧(6点) 分別と多感(Sense and Sensibility、1811年)/高慢と偏見(Pride and Prejudice、1813年)/マンスフィールド・パーク(Mansfield Park、1814年)/エマ(Emma、1815年)/ノーサンガー・アビー(Northanger Abbey、1817年)/説得(Persuasion、1818年)

様式の混合:ユニークなカントリーハウス ー中世~19世紀

イングランドで大多数を占めるのは、より知名度の低いカントリーハウスです。 ジェントリ(地主階級)や貴族によってしばしば入れ替わりで所有されたお屋敷です。

このようなカントリーハウスは、ファサードやウィングに複数の時代の建築様式が混在しているのが特徴です。 おもに地元の建築家の手になる仕事で、そのテイストは実用的であり、時代の流行にも左右されました。

このような増改築は、その当時にはしばしば非難されるものでした。 けれど今となっては、そのクオリティこそが、イングランドのカントリーハウスをよりユニークなものにしていると言えます。

キャノンズアシュビー
Canons Ashby / By DeFacto – Own work, CC BY-SA 4.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=44805982

郷士ジョン・ドライデン*13の一家が住んでいたキャノンズアシュビー*14は、このような混在建築の一例として挙げられます。

中世に農場の家だった建物が、テューダ朝時代*15に、中庭を中心に拡張されました。さらにステュアート朝時代*16に立派な天井しっくいが施され、18世紀にはジョージアン式*17のファサードが加えられています。

時代ごとに地元の建築家が請け負ったとおもわれる増改築は、全体的にミスマッチな様式でありながら、その継ぎ目がわからないように一体化されているのが興味深いポイントです。

…と解説されていたのですが、中央の白い壁が気になります…^^;

*13…郷士ジョン・ドライデンJohn Dryden  / *14…キャノンズアシュビーCanons Ashby  / *15…テューダ朝時代(1485年 – 1603年)  / *16…ステュアート朝(1603年 – 1714年)  / *17…Georgian architecture

ブリンプトンデバーシー
Brympton D’Evercy House / By Mike Searle, CC BY-SA 2.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=63279992

サマセットにあるブリンプトンデバーシー*18も様式が混在しているカントリーハウスです。ですが、一貫して地元の建材(ハムストーン)を使っているため、統一感があります。

*18…ブリンプトンデバーシーBrympton d’Evercy

ルーシャムハウス
Rousham House / By Jason Ballard – Flickr: Rousham House, CC BY 2.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=26477450

ルーシャムハウス*19は、建築家ウィリアム・ケント*20によって再設計されました。 主人の12人の子供たちのために、急きょスペースが必要となったためでした。

*19…ルーシャムハウスRousham House  / *20…建築家ウィリアム・ケントWilliam Kent

ウィルトンハウス
Wilton House / By Henry Kellner – Own work, CC BY-SA 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=35231995

ウィルトンハウス*21はイングランドで最大規模のハウスのひとつに数えられます。こちらも複数の時代にわたる建築様式がみごとな調子で整えられています。

所有者はペンブローク伯爵家*22でした。 先述のルーシャムハウスとは違い、時代ごとに国内最高の建築家が採用されています。 はじめにホルベイン、そしてインディゴ・ジョンズ*23、それからウィリアム・チェンバー*24、これにジェームズ・ワイアット*25がつづきました。

*21…ウィルトンハウスWilton House  / *22…ペンブローク伯爵Earls of Pembroke  / *23…インディゴ・ジョンズ(1573 –1652) Inigo Jones  / *24…ウィリアム・チェンバー(1723 – 1796)William Chambers  / *25…ジェームズ・ワイアット(1746 – 1813)James Wyatt

解体 ー19世紀末~

In 1912, it was not the subject who “had his head off”, but the house itself. Advertisement for the roofing balustrade and urns from the demolished Trentham Hall / By .The original uploader was GiacomoReturned at English Wikipedia. – Scan of an advertisement from the British magazine Country Life (4 May 1912), Public Domain, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=36836274

カントリーハウスの衰退は、1870年の農業不況によって資金不足に陥ったところからはじまります。 二度に及ぶ大戦中には、使用人が戦場に赴き人手も不足しました。 また、上流階級に属する若者たちの多くもノブレス・オブリージュ*26の伝統に従ってフランドル戦線へと出征し、命を落としたといいます。

*26…ノブレス・オブリージュ:直訳すると「高貴さは(義務を)強制する」を意味し、一般的に財産、権力、社会的地位の保持には義務が伴うことを指す。

大戦中に接収された建物は、兵舎などとして使用され、修理が必要な状態で返却されました。 後継者もなく、資金不足もつづくなかで、多くのカントリーハウスが解体を余儀なくされました。

くわしくは⇒ カントリーハウスの衰退~現在 | イギリスのカントリーハウスとは①

3つのタイプ

1 パワーハウス

HamptonCourtPalace / 撮影:トオ子

パワーハウスとは最も巨大なカントリーハウスのことを言います。ぶっちゃけ、パレス(palace / 宮殿)です。 時の最大権力者によって建てられました。 共通する特徴としては「仰々しさ(ceremony)」と「壮麗さ(pomp)」が挙げられます。

パワーハウスの豪華な部屋は、最も地位の高いゲストをもてなすためにつかわれました。 もてなし…ではあるのですが、同時に、確固たる権力が維持できていることをゲストに見せつけているのです。

このような豪邸は約500年前から、それまでの要塞や王城(traditional castles of the crown)にとってかわって建てられはじめました。初期のパワーハウスの代表例は、ハンプトン・コート・パレス*27、そしてバーリーハウス*28などです。

*27…ハンプトン・コート・パレスHampton Court Palace  / *28…バーリーハウスBurghley House

巨大な住まいの建築は、18世紀までつづきました。 17世紀の後半から18世紀の中頃にかけての時代が、このような建築の全盛期にあたります。 18世紀のパワーハウスとしては、ハワード城*29、ケドルストンホール*30、ホルカムホール*31などが挙げられます。

*29…ハワード城Castle Howard  / *30…ケドルストンホールKedleston Hall  / *31…ホルカムホールHolkham Hall

これらの建築物は全体がすっかり、時の高名な建築家によって、流行の最先端のスタイルで建てられました。

18世紀から19世紀にかけて、こうしたカントリーハウスは「宮殿」として機能しました。 最上流の階級の人びとがリラックスし、狩猟をたのしみ、週末には同階級の人びとと政治を語って過ごしたのです。 劇場が備わっているハウスもありました。

2 マイナー カントリーハウス

Howick Hall in winter sunshine / By John Clive Nicholson, CC BY-SA 2.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=14446434 / By John Clive Nicholson, CC BY-SA 2.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=14446434

このカテゴリに分類されるのは、パワーハウスよりも個々の知名度がひくいカントリーハウスです。

中世のホールハウスから発展して必要に応じて部屋が追加されたか、もしくは地元の建築家によって新たに建てられた邸宅です。 パワーハウスに比べて、規模は小さく、数の上では勝ります。

おもに地主階級によって所有されていました。 こうしたカントリーハウスもまた、その領地の中央として機能しましたが、主人は必ずしも複数のカントリーハウスを所有していたわけではありませんでした。 とくにジェントリ(地主階級)にとっては、しばしば、そこが唯一の邸宅でした。

1920年~1930年代、イングランドの探偵小説でカントリーハウスミステリーが人気を博しました。 週末のハウスパーティの際に吹雪にみまわれて孤立したカントリーハウスなどを舞台に、しばしば殺人事件が起こるというものです。

3 ビクトリアンハウス

Bletchley Park / By DeFacto – Own work, CC BY-SA 4.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=56815741

19世紀の産業革命につづいて、第三のカントリーハウスが、新しい富裕層によって建てられました。 実業家や銀行家の多くは、その富を味わって、誇示してみたかったのです。

イングランドが好景気に沸いた1850年代から、リヴァイヴァル建築*32スタイルで新たなマンションが建てられ始めました。

この時代のカントリーハウスは、ロスチャイルド家の豪邸群*33、そしてブレッチリーパーク*34などに代表されます。

*32…リヴァイヴァル建築  / *33…ロスチャイルド家の豪邸群Rothschild properties in the Home counties  / *34…ブレッチリーパークBletchley Park

余談:アビー / ホール / パーク って何なの?

カントリーハウスにはそれぞれ生い立ちがあり、その生い立ちが名称に関わっているケースも多いです。

「○○アビー」とか「××ホール」とか「△△パーク」の、アビー / ホール / パーク って何なの?と、思ったことはありませんか。 私はあります。ずっと疑問でした。なにかの分類かと思いましたが、違いました。

日本のように地震がなく、何百年も使える石造りの建物は、その利用目的が時代とともに変わることが珍しくありません。 なので、かつて何に使われていたか…が名称に関係している場合があります。 必ずというわけではありませんが、おおむね次のような感じと言えます。

  • キャッスル(castle)…元 要塞
  • パレス(palace)… 宮殿
  • コート(court)… 宮廷
  • アビー(abbey)…元 大修道院
  • プライオリ (priory)…元 小修道院
  • ホール(hall)…中世のホールハウスから発展
  • マンション(mansion)…カントリーハウスたるべくして新築された邸宅
  • パーク(park)…田園?
  • ハウス(house)…?
  • マナー(manor)…封建時代の 領主の館
  • プレイス(place)…地所

ところが。これらを模して新築した建物がそれっぽく呼ばれることもあるので、歴史と無関係というケースもあります。 結局のところ名称は、分類の手掛かりにもならなければ、歴史に由来するとも限らない、なんともフワフワしたものだったのです…^^;

1800年以降に建設されたカントリー・ハウスについては、主人の趣味によって命名されたものもある。 例としてこの時代に建設されカースルと命名されたカントリー・ハウスが軍事目的で使用された例は一つも存在しない。 カントリー・ハウスの概要

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