生後1ヶ月の思い出 in オランダ
生後0ヵ月は、授乳/ミルクとオムツ替え以外は、ほぼ寝ていた赤さん。1ヵ月を迎えて、起きている時間少し長くなりました。2ヶ月に差しかかる頃には、夜の睡眠時間がまとまってきました。と言っても、長いときで4時間とかその程度でした。
もくじ
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生後4週
バウンサーの利用開始
出産の数か月前から、BabyBjörn の中古バウンサーが家にありました。「まだ使えないよね」と思いながら取説をウェブ検索すると「新生児から使える」と書いてあり、「へー!」と思いながら、はじめて使ってみたのが4週2日のことでした。
ペコ君はバウンサー大好き君になったので、1歳間近まで、バウンサーに乗った写真がたくさん。身体がどんどん大きくなっていくのがわかり、これも素敵な記録になりました。
おむつかぶれ
ひどいオムツかぶれが数回ありました。市販のおしり拭きの使用を一時的にやめて、霧吹きで洗い、キッチンペーパーで水気を吸いとりました。いちばんひどかったときは、おしりにあてたキッチンペーパーに、血がつきました。試供品の sudocrem が役立ちました。
搾乳量が増えた
両乳で90ml搾乳できたのが、私史上の快挙で、感動し、搾乳ボトルを記念撮影しました(笑)ただし、毎回90mlだったのではなく、およそ3回分を粉ミルクに頼って溜め込んだ母乳です。それでも、産後はじめての搾乳で4㏄だったことを思うと、感涙ものでした。
産後4週3日
帝王切開後のフォローアップ
手術をしてくれた先生によるフォローアップがありました。子を取り上げてくれた先生に再会できるのは、感慨深かったです。
帝王切開後の違和感
わたしが手術後のお腹の具合を訴えるまえに、先生が「こんな症状は普通…」といくつか例をあげました。そのなかに、わたしが感じていた違和感「なんか重い」「ちくちく、ぴりぴり」が入っていたので、なにも言うことがなくなってしまいました。なんか重い…というのは、動くたびに小型メロンがお腹の中を転がるような感じです。
回復の速さは個人差が大きいことも告げられました。疲れたり、違和感が強くなってきたら、休む。身体からのメッセージによく耳をかたむけ、素直に応じるよう教わりました。
傷口も見てもらいました。外見は問題ないようです。内部での癒着とかは、わかりません。
ちなみに帝王切開だと、産後6週間までは、自転車や車の運転で事故を起こしても保険がおりません。それくらい術後の身体は以前と違うってことですよね。
帝王切開後のメンタル
身体の具合のほか、メンタル状態を聞かれました。トラウマになっていないか、という質問だったので「退院した日の夕飯に、Ossenworst(生肉)サンドイッチを買ってきてもらったけど、赤い肉が急に怖くなりました。」と答えました。
初めての外科手術にビビり散らかしたために、全身麻酔での手術になった私です。トラウマっていうと、私にとっては、もう、そういう意味でしかなかったんです。でも、どうやら、普通分娩できなかったことに対する出産ならではのトラウマがリサーチ対象だったようです。
なるほど。すると私のトラウマは皆無です。普通分娩できなかったことがトラウマになるほど、普通分娩に憧れたことはありませんでした。だって「鼻からスイカ」とか言うじゃないですか。普通分娩だって恐怖しかなかったです。
ただ、その恐怖を克服すべく臨んできたかいあって、ついには、陣痛を体験してみたいがために無痛(硬膜外麻酔)を断ろうかと悩むほど強くなっていました。そういう意味では、まぁ、残念ではあったかもしれません。
でもペコ君が元気に存在してくれている以上、ほかに望むものもなければ後悔もなく、ただただ幸せでした。
ちなみに私は帝王切開の傷跡を「最高に意味のあるタトゥー」だと思っています。全身麻酔とはいえ外科手術に耐えた勲章、そして、愛しいペコ君が生まれた証です。しかも、このタトゥーは、温泉にも入れます。
リハビリを兼ね徒歩30分+市街散歩1時間
病院まで30分ほどの道のりは、リハビリを兼ねて歩いて行きました。
Maxi-cosi Lala2 に、専用アダプター(30EUR)を取り付けてカーシートを設置し、これにペコ君を乗せて出かけました。
Maxi-cosi Lala2 は、座席をフラットにでき新生児から使えます。なのに、なぜ、わざわざカーシートを取り付けたのか… 理由をあまり覚えていません。帰路はバスを使う予定だったので、カーシート部分だけ座席にベルトで固定しようとか考えていたかもしれません。でも実際には、揺れる車内でそんな器用なことはできなくて、ベビーカーが倒れないように立って支えるだけで精一杯でした。
何ヶ月も後に知るのですが、バスの車いす/ベビーカー用のスペースには専用のシートベルトがあります。1台分だけですが。わたしが乗ったバスは、すでに先客のベビーカーがあったので、いずれにしても使うことはできませんでした。
自分の調子が良かったので、市街まで出かけてみました。トルコ系のパン屋さんで「ほうれん草とフェタチーズのギョズメレ」を買い、商店街の路上ベンチに腰掛けて食べました。ペコ君には粉ミルクを、その場で調合して与えました。飲み終わった後は肩に抱えてげっぷもさせました。
生後1ヶ月。日本だと、はじめての外気浴(短時間)…くらいの時期ですよね。ちょっと連れまわしすぎました。
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生後5週
日本から実母の来蘭
日本から実母が来ました。インフレかつ円安のなか、高い飛行機代を払ってはるばるやってきたのに、なんと滞在はたったの5日間。母曰く「手伝いに行く」とのことだったけれど、5日では楽しく忙しいだけなので、2週間くらい滞在してくれたらなぁ…と私は思いました。でも仕事をしているので、取れる休暇の都合を考えるとこうなるのかもしれません。
天候の良い日が多く、市内散策や買い物を兼ねて3世代で散歩。突然の豪雨に襲われた日もありましたが、ベビーカーのレインカバーだけはもっていたので、赤さんは無事。私と母は、ずぶ濡れになりました。ちなみに、初めて使ったレインカバーは、取り付け方を間違えて、後ろ前でした(笑)
今の住まいは寝室がひとつしかなく、私と母がダブルベッドで寝て、夫がリビングのソファで寝ました。この頃のペコ君は、夜間も3時間おきのオムツ替えと調乳が必要でした。母の滞在中は、ミルクを拒むことはほぼなく、満腹ならオムツ替えにもすんなり応じてくれて、入眠も比較的スムーズだったと記憶しています。1度だけ、ぐずって泣き止まなかったことがありました。わたしはペコ君を抱いて廊下に出て、薄明り(トイレの明かりで間接照明)のなかで、おむつ替えして、抱っこでゆらゆらしながら丑三つ時を過ごしました。これが妙に心地よく、妙に楽しく、やわらかい幸せに包まれた不思議な時間として記憶に残っています。
母は「手伝いに来た」と言うので、私は本当に手伝いにだけ来たんだと思っていました。昔のことですが、母は「子供のいる家庭って、子供中心の生活してるから、遊びに行くのイヤ」とか言っていたんです。私を産んでいろいろ懲りた話も聞いていたので、赤ちゃんや子供…なんなら私のことも、嫌いなんだと思っていました。ところが帰り際に、寝ているペコ君を見て「バイバイ言えないのが心残り…」と3回くらいボヤいてて、衝撃的でした。え、もしかして、ツンデレです…か?
ツンデレのツンの鎧を脱いだ母を、初めて見ました。
大量の日本食をお土産に持ってきてくれて、レトルト食品もあり、その後の食生活もかなり助かりました。
生後6週
お友達の来訪
友達の来訪が4回ありました。同市に住む先輩ママさんたちです。
3年ほど前まで、オランダに友達ゼロだった私。あえて近隣に友達を作ろうとも思っていませんでした…というのは見栄で、引きこもりなオタク系で引っ込み思案なんですよね。ひとりのほうが気がラクっていう類の人間です。
でも妊娠してからは、「子のために!」と積極的に社交に乗り出しました。これが意外と楽しくて驚きました。わたしが知り合ったのはみんなEXPATママです。異国で暮らすEXPATママ同士の”連帯感”みたいなものがあり、多文化を尊重し各家庭に干渉しすぎることなく助け合えるという感じです。私にとって理想的な距離感でお付き合いできているので心地よいです。
そして産後のちょっと大変な時期、来てもらって安堵するのは、やっぱり日本人だったりするのです。育児について母国語で話せる安心感に加えて、日本人の何が素晴らしいかというと…… お願いしなくても手を洗ってくれることです(笑)
生後3ヶ月くらいまでの赤さんに触れるときは、手洗い必須。これ、わたしは出産するまで知りませんでした。
乳口炎
乳頭に白いのができてしまい、症状を調べると、どうやら乳口炎というものだそうで。要するに、詰まってるんですね。生産量が少ないの詰まるって、悲しいな、おい。
「皮膚によって蓋がされて炎症が起きている」っていうのが、私のケースっぽかったです。様々な原因や、対処法、授乳方法の見直しなどが提案されているけれど、どれもピンとこなくて、よくわからないうちに、消えたり、また現れたりしました。
そういえばペコ君は、授乳の際に乳頭を見つけられずギャン泣きすることがよくありました。まだ目の見えない新生児期なので、頭を左右に振って唇に当たるもの(乳頭)を探すらしいのですが、ペコ君は頭の振り方が激しく狂気の沙汰でした。そして、あの、ちゃんと当たってるので、気づいてくださいよ…って思いました。
外部リンク 乳首に白いできもの!どうして?治し方は!? ~乳口炎(白斑・乳栓)の対処法~ ― 産婦人科オンラインジャーナル
[概要 / 抜粋文]授乳中、乳首の白いできものに驚いたことはありませんか?なぜできるのでしょう?どうすれば治るでしょうか?対処法をお伝えします。
1日平均47.5g増
新生児の体重は、1日平均18〜30gずつ増えるのが平均だそうです。計算すると、ペコ君は、1日平均47.5gも増えていました。
母乳の出が悪く粉ミルク中心だったので、きっとそのせいでしょうね。
生後7週
英国パスポート取得
ペコ君のお父さんは英国籍です。なので出生時から自動的に英国人でもあり、英国パスポートを取得できます。白いシーツに寝かせてスマホで撮影した顔写真で審査を通過しました。英国パスポートは郵送で届きます。日本のように大使館に本人を連れて取りに行くという手間はないですが、セキュリティ面が心配な体制です。
生後8週
嘔吐に血が混じる
粉ミルクを勢いよく飲んだあとに嘔吐するのは珍しいことではなかったですが、あるとき、血が混ざっていました。
GPに電話相談すると、赤さんの様子をいろいろと聞かれた末に「ひとまずは様子見で、ふたたび嘔吐に血が混じっていたら救急窓口に電話して」と言われました。泣き声などがパワフルだったので、大丈夫だと思われたんでしょう。不安でしたねぇ。でも幸い、その後なにも問題ありませんでした。
私の乳頭が負傷していました。おそらく、嘔吐に混ざっていたのは、私の血でしょう。「授乳は母子ともに幸せに包まれる」らしいですが、私には、ちょっとした試練でしたね。苦なくして幸せなし、というか。乳頭はいつも痛かったです。ふくませ方が下手だったんでしょうね…。
プレイグループデビュー
2ヶ月を目前にした生後8週に、プレイグループに参加しました。日本でいう「支援センター」に近いんでしょうか。先生が一人いて、親子で参加します。対象年齢は0歳~2.5歳。時間は、9時半~11時の1時間半。おもちゃで遊んで、絵本を読んでもらって、フルーツを食べて、お片づけをして、ビーチボールや楽器で遊んで、締めはお歌です。スクールホリデーの期間は休館です。参加費は1回あたり1.5ユーロ。10回綴りのチケットを買うと割引があったりします。
1歳児のママに誘われて、行ってみました。生後8週のペコ君にとっては、すべてが騒音でしかなかったと思います。ペコ君は大半の時間をベビーカーのキャリーコット/バシネットで過ごしました。実際、ペコ君を遊ばせる目的ではなく、親である私の体験参加でした。知り合いがいるうちに参加しておきたかったので。
ペコ君は最年少でした。身体が大きめだったので、まだ8週だというと皆に驚かれました。
こののち、先生の入れ替わりがあり、事務的な引継ぎがスムーズにゆかなかったようです。その影響で、このタイミングで初参加した人は支払いができず、私の場合は計8回分(週1開催なので約2ヶ月分)ほどが無料になりました(笑)
イギリスから義姉の来訪
ペコ君の生後8週4日目に、イギリスに住む義姉とパートナーの来訪がありました。義姉もパートナーもそれぞれ成人した子供がいます。
ペコ君には「社会的微笑」が見られましたが、笑い声はまだでした。手足をバタバタしたり声のするほうを見たりといった反応があり、義姉とパートナーはいろいろとあやしてくれました。いないいないばあっ!はまだ早かったようで、反応が薄かったです。
この頃のペコ君の就寝時間は21時頃だったので、ディナーに連れ出すことができました。ベビーカーはキャリーコット/バシネットタイプなので、眠くなればそのまま眠って大丈夫です。夏だったので外気温も心配ありませんでした。家から徒歩圏内のレストランで食事をしました。
首はまだ座りかけでした。義姉がバシネットからペコ君を抱き上げるとき首をサポートしなかったので、新米父母の私たちはギョッとしましたが、その後の身体に問題はありませんでした。慣れた手つきというのはときに乱暴にも見えてしまうもので、ハラハラしたのを覚えています。
久しぶりの外食ディナーで、贅沢させてもらいました。
入浴回数について
日本では赤さんを毎日お風呂に入れると聞いて「えっ⁉」となりました。クラームゾルフさんから週2回でじゅうぶんと習い、でも実際は週1回くらいしか沐浴してません。
気候や水質が日本とは違うので、なんか、これでいいらしいです。