今日のオランダ・ベルギーのあたりに人が定着したのは紀元前10,000年頃です。地球の最終氷期が終わり温暖化する時期です。狩猟採集に始まり、約5000年後に農耕牧畜を行う人々が現れました。農耕牧畜民は、種をまき、鋤を使い、家畜を飼育しましたが、ときに狩猟生活に戻ることもあったようです。

紀元前1900年頃から青銅が使われ始め、ヨーロッパの他の地域との交易の痕跡も見られるようになります。死者の埋葬品の特徴から、オランダ南部がケルト文化圏、北部がゲルマン文化圏であったことがわかるそうです。

紀元前750年頃から鉄器時代に入ります。やがて北からゲルマン系とみられる人々が移住し、さらに南へと追われたケルト系民族(ベルガエ人)は、紀元前57年以降、ローマ帝国に組み込まれます。オランダ南部はゲルマーニア州の一部となりました。

ローマ人によって、インフラストラクチャー、運河、宗教、言語、生活様式の変化がもたらされました。ナイメーヘンなどに街(要塞)が築かれました。オランダ北部のゲルマン系民族フリース人は屈強で、ローマの支配を受け入れることはなく、友好・協力・ときどき交戦の関係を保つに留まりました。

3世紀半ば以降には、サリ・フランク人の侵入と定着があり、やがて内部抗争で衰退したローマ帝国(紀元395年に東西に分裂)の兵が406年に撤退すると、帝国の国境線を越えてゲルマン人が大挙して押し寄せました。

先史時代

30万年前-13万年前:リス氷期
15万年前:狩猟採集民の痕跡
・ユトレヒトの丘陵地帯に狩猟採集民の痕跡。次の氷期に姿を消す。
7万年前-1万年前:最終氷期
・ドレンテ地方、ゼーラントの北海岸、 Woerden に人の痕跡。
1万年前:海面上昇、ブリテン諸島(英)と切り離される
・北ブラバントに狩猟遊牧民の痕跡。
・フリースラントに集落跡。
・修復された1万年前のカヌー Pesse canoeDrents Museum にて展示。
紀元前5000年-前3000年頃:農耕牧畜民の到着
帯紋土器文化:リンブルフ州の南にオランダで最初の農耕の痕跡。中/南東ヨーロッパから、あるいは中央アジアからの民族の流入、もしくは農耕牧畜の文化のみが伝播したことによると考えられている。
漏斗型ビーカー文化:デンマークから北ドイツにかけて広がった農耕文化。ドレンテに巨石墓地(納骨堂)。
フラールディンゲン文明:海岸沿いの砂丘に住居跡。狩猟採集と漁業で生活し、やや原始的。
前3000-前750年頃:銅器時代-青銅器時代(Copper age – Bronze Age)
縄目文土器文化
鐘型ビーカー文化:前2800-前1800。ベル型の土器。銅や青銅の鋳造技術。縄目文土器文化や漏斗型ビーカー文化に続き、ヨーロッパの広域で栄える。
・ドレンテが主要な交易センター
Barbed-Wire Beaker culture:鐘型ビーカー文化から発展。
・おおむねライン川を境にして南北に2つの異なる文化圏。北にゲルマン系(Elp culture)、南にケルト系(Hilversum culture)。
前750年頃-:鉄器時代(Iron age / The pre-Roman period)
・鉄鉱石は全国的に入手可能:北部で銑鉄、南部で鉄鉱石。
・鋳造技術を持った人々が、青銅や鉄をもって集落から集落へ旅し、要求に応じて斧やナイフ、ピンや矢じりをつくる。
・鉄を強化した鋼(はがね)の剣を鋳造していた可能性も。
・北ブラバントのオス(Oss)に、前500年頃の幅52メートルの古墳。金と珊瑚が散りばめられた鉄剣などの副葬品。
ゲルマン系:
南スカンジナビアや北ドイツあたりに住んでいたゲルマン系民族が紀元前600年-前1世紀にかけて南下し、南スカンジナビア~オランダ~ポーランドの Vistula 川まで広がる。 現オランダに相当するエリアには、北部にフリース人、ライン川下流域にバターフ人、ライン川中流域南側にサリ・フランク人がいた。
ケルト系:
オーストリアの ハルシュタット文化 (前800-前450)および ラ・テーヌ文化 (前450-ローマ征服) から広がったケルト文化は、オランダ南部(=古代 Gauls の北端)にまで及んだ。鉄器時代の革新は、ケルト人の侵攻を伴わず文化の影響を受けて現地で発展したことが特徴。 現オランダに相当するエリアには、、ライン川以南にベルガエ人がいた。ベルガエ人は北方のゲルマンの影響を受けてゲルマン化が進んでいたケルト系部族。
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ローマ支配期

前57-:ライン川の南までローマ人が侵攻。
ライン川南部のベルガエ人を制圧。前13年頃に一帯がローマ属州のゲルマニア州となる。ローマはライン川に沿って前線基地を設ける。
前12年頃-:ローマ人によるダムや運河の建設
・クレフェスの近くにダム
・旧ライン川とフェヒト川を結ぶ運河と監視塔の建設
28年:フリース人がローマに反乱
フリース人:北部沿岸に住んでいたゲルマン系民族。ローマの支配に抵抗し、属州になることはなく進貢のみ。また交易を通じてローマ人の影響を受けた。
47年:プリニウスがテルプについて記述を残す
テルプ:フリースラントやフローニンゲンの低湿地帯に作られた人工の盛り土。この上で生活する人々がいたことをプリニウスが記録。満潮時には船さながら海に浮かんでいるように見えたそう。
50年頃:マース川とライン川の河口を結ぶ運河を建設
オランダ北部地域およびブリテン島への交通改善
69年:バターフ人がローマに反乱
バターフ人:ライン川下流域のローマ領ネイメーヘンを中心に居住していたゲルマン系民族。ローマ侵攻以前はライン川上流域に住んでいたらしい。近隣諸部族も反乱に参戦するが、鎮圧される。
256年:ゲルマン系のサリ・フランク人が侵入
ローマの力と権威の衰えにより脆弱となったところへゲルマン系民族が断続的に侵入。サリ・フランク人がマーストリヒトや、ベルギーのトレンゲン、トゥルネーなどに定着。
340年:ベルギーのトレンゲンに司教座を設置
402年-406年:ローマの撤退とゲルマン人の大移動
ライン川を越えてゲルマン人が侵入。これに伴いサリ・フランク人も南下し、セーヌ川を超えローヌ川付近まで広がる。ガリア北部(現ベルギー~北フランス)に定着したサリ・フランク人が、481年にフランク王国を樹立する。

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ざっくり【歴史】オランダ王国が誕生する前を遡る (ネーデルラントの変遷)

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書籍

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