
【年表】マーストリヒト
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マーストリヒトはオランダ最南端の州(リンブルフ)の州都。ベルギーとドイツの国境のはざまに食い込むような位置にあり、オランダ西部の都市とは少し雰囲気がちがうと言われる町です。
マーストリヒト

マーストリヒトの年表
時期 | オランダ主要地域 | マーストリヒト |
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先史 |
前1万:最後の氷河期終わる前1900:青銅器時代前750:鉄器時代
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古代 |
前57-後406:ローマ支配期
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前10年:ローマの大通り建設
1世紀:マース川下流域に最初の橋建設
150頃:ローマ浴場、ジュピター神殿
270頃:ゲルマン人の侵入・町の破壊
333:ローマ要塞の建造
384:マーストリヒト司教の聖セルファース死去
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中世 |
481:メロヴィング朝フランク王国-650:キリスト教が普及650-850±:カロリング帝国(800:カール大帝 / 870:メルセン条約)962-:神聖ローマ帝国 / 領邦国家の発展1200-:都市の発展1432-:ホラント伯領がブルゴーニュ家支配下に1477-:ホラント伯領がハプスブルグ家支配下に
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570頃:司教モノルフが聖セルファース教会を石造で建て替え拡張
590-670頃:少なくとも12人の造幣官がマーストリヒトで活動
6世紀末~7世紀末:メロヴィング朝の王がたびたび滞在
700頃:司教ランバートが殺害される
720頃:司教区の中心がマーストリヒトからリエージュへ
881:ヴァイキングの来襲
11世紀/12世紀:聖セルファース教会に聖堂参事会発足、聖母教会に聖堂参事会発足
1204-:マーストリヒト包囲 by リエージュ司教君主
1229:ブラバント侯が市壁の建設を許可
1275:ローマの橋が崩壊
14世紀:2番目の市壁の建設
1407:マーストリヒト包囲 by リエージュ反乱軍
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近世 |
1504:ハプスブルク家ブルゴーニュ侯がスペイン国王に即位1568:八十年戦争始まる1581:スペイン国王廃位令1609-1621:休戦1648:八十年戦争終わり独立 ネーデルラント連邦共和国1795-:バターフ共和国(仏傀儡国)1806-:ホラント王国(仏傀儡国)1810-:フランス併合時代1815-:ネーデルラント連合王国1839-:オランダ王国
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1576:スペイン兵およびドイツ傭兵による侵略
1566:カトリックとプロテスタントの平等
1579:マーストリヒト包囲 by スペイン部隊:プロテスタント派の殺害または追放
1632:マーストリヒト占拠 by 反乱州(オランダ)軍
1638:スペインに味方した22人の裏切り:9人が処刑
1659-83:市庁舎の建設
1673:フランスに包囲される(ルイ14世)
1748:フランスに包囲される(ルイ15世)
1793:フランスに包囲される(革命派)
1794:フランスに占領される(ナポレオン帝)
1795:フランス帝国下でマース下流域部の都になる
1795:聖堂参事会の強制解散
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近現代 |
1940.5:ロッテルダム空襲 ナチスに降伏1944-1945:ナチスからの解放
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1815:リンブルフ州の州都になる
1838:聖ニコラウス教会の解体
1878:市壁の解体
1915:マーストリヒト駅開業
1916:聖ランバート教会堂建設
1932:ウィルヘルミナ橋開通
1940:マーストリヒトの戦い:ドイツ優勢
1944:連合軍による解放
1968:ジョン・F・ケネディ橋開通
1976:マーストリヒト大学設立
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参考:Timeline of Maastricht(2019.11)
旅行情報
- 地図マーストリヒト
- 観光局マーストリヒト
- vvvMaastricht
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