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2019年7月にアルザス地方(ストラスブール、コルマール、サヴェルヌ、セレスタ)を訪れたときの旅行記です。準備・行程はこちら

7月 火曜日:オー・クニクスブルグ城とセレスタの町

今日はBas-Rhin県の最南端にあるオークニクスブルグ城を目指すことにしました。

セレスタから城まで500系統バスで直行

ストラスブールから出発するので「Alsa+ 24H Bas-Rhin」23.1EURチケットを購入してみました。県内の公共交通機関が乗り放題になるはずです。

ストラスブールからセレスタまで鉄道で移動し、駅から500系統のバスに乗り換えてオークニクスブルグ城に直行します。

Alsa + 24 (券売機で購入)

セレスタ駅が500系統の始発停留所ですが、バスの到着が遅れること15分…なぜ(笑)。

ストラスブールで刻印した Alsa+24H Bas-Rhin を運転手さんに見せると、乗車料金0EURのレシートを貰って乗車することができました。

セレスタ駅前。500系統バスの乗り場。

平地を抜けるとバスも山道を走ります。道路脇に、ハイキングできそうな小道がたびたび見えました。登山口近くまでバスで行って歩いて登ることもできたのかも知れません。でも今日は、城内の見学も目的なのでやっぱり時間が足りなくなるかな。

さて、バス利用でいとも簡単に到着してしまったオークニクスブルグ城。たっぷり時間があるので、くまなく見学を楽しむことにします。

オー・クニクスブルグ城の見学

オー・クニクスブルグ城

高さ755メートルの Stophanberch 山の頂上にオー・クニクスブルグ城はあります。その昔、この辺りは交易の要衝でした。南北には麦とワインの街道が延び、東西には塩と銀の街道が延びていたそうです。

山頂からの眺め

ここに初めて城が建てられた年代は定かではないですが、この城に言及した12世紀の記録が残っているそうです。それは「シュアーベン公爵フレデリックによる城の違法な建築について、修道士がフランスのルイ7世国王に不満を述べた」というもの[*1]で、城のパンフレットには「おそらくフレデリックはこの山の戦略的な地の利に気付いていた」と書いてあります。ドラマの序章のようで惹き込まれますが、手近なところに詳細がないので、保留しておきます^^;

オー・クニクスブルグ城の模型
オーディオガイドは入場料と別途で4.5EUR。城内マップの「紙」に記載された番号を機器でスキャンすると再生される。紙を持ち歩かないといけないので、手がふさがってちょっと不便でした^^;

城は、中世の有力者の手を渡り、15世紀に炎上して建て直され、17世紀に破壊されて放置され、20世紀初頭に大修復されて今日に至ります。

「近世に修復された城」と聞くと少しテンションが下がる私なのですが、この城については、ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世の野心や思惑がギュッと詰め込まれていて面白かったです。

15世紀:ティエルシュタイン家⇒ハプスブルク家(神聖ローマ帝国)

15世紀に建て直しを行ったのは Tiersteins(ティエルシュタイン/ハンブルグ)家だそうです。ハプスブルグ家が所有したこの城は、ティエルシュタイン家に封土として与えられました。同家は大砲の攻撃に備えて防衛システムも強化するのですが、この家系は次の世紀には途絶えてしまうようです。城は再びハプスブルク家の所有に帰します。

城の外壁。攻撃を受けた場合を想定して下方に窓がない。
17世紀:⇒フランス

17世紀、セレスタ一帯はフランスの同盟国スウェーデンによって包囲されます。フィリップ・ド・リエヒテナウという将軍の指揮下で1ヶ月以上もち堪えましたが、最後には落城し、略奪され、破壊されました。この包囲戦は、ボヘミアの宗教紛争に端を発して国際戦争に発展した「30年戦争」の一幕です。

30年戦争は1648年のヴェストファリア条約によって講和し、アルザス地方はフランスに組み込まれることになりました。廃墟となったオー・クニクスブルグ城跡は以後200年以上、放置されます。

1851年の写真 Par Le_Seq — Travail personnel, Domaine public, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=10710155
19-20世紀:⇒帝政ドイツ⇒フランス

20世紀初頭にオー・クニクスブルグ城の大修復を行ったのは、ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世です。

アルザス地方は30年戦争以来フランスの領土でしたが、1870-71年の独仏戦争(普仏戦争)の結果、大勝利を収めたドイツの領土となっていました。

中世以来のドイツと言えば神聖ローマ帝国ですが、この帝国はナポレオン戦争後の1806年に崩壊しており、紆余曲折を経て、19世紀の末にはプロイセン王国が中心となってドイツ連邦(のちに帝政ドイツ)を築いていました。

1908年 修復完了 Von Fotograf unbekannt – Deutscher Hausschatz, 1908, S. 717, PD-alt-100, https://de.wikipedia.org/w/index.php?curid=9692850

アルザス地方がドイツに併合される少し前、オー・クニクスブルグ城跡は「フランスの歴史遺産」に登録されました。まもなく、城跡とその一帯の森をセレスタの町(自治体?)が買取ります。城跡は比較的よい状態で保存されており壮大な修復が計画されましたが、町には十分な資金がありませんでした。

ドイツ併合後の1899年に、セレスタの町はオー・クニクスブルグ城を時のドイツ皇帝ヴィルヘルム2世に寄贈しました。ヴィルヘルム2世は、城を修復することは「アルザス地方が再びドイツの領土に組み入れられたことの象徴および、アルザス併合の正統性のアピールになる」と考えました。

修復されたエントランスには、カール5世(神聖ローマ皇帝)と共に、ヴィルヘルム2世自身の紋章が刻まれており、城の所有者としての正当性を主張しているとのことです。

下部に、神聖ローマ帝国とハプスブルク家の紋章「双頭の鷲」、上部にヴィルヘルム2世の「単頭の鷲」

「カイサー(皇帝)の部屋」の天井にもドドーンと鷲が描かれており、見応えがありました。

オーディオガイドの説明が詳しかったのですが、それらを十分に理解&記憶できなかったことが残念です。館内パンフレットとオーディオガイドの説明から興味をもって、帰宅してから上述のようなことを調べたので、今もう一度、あのオーディオガイドを聞き直しながら見学したいです^^;

アルザス地方がドイツに併合されたことについては「世界史の窓」に興味深いエピソードが載っていました。

19世紀後半のフランスの作家アルフォンス=ドーデの『月曜物語』の冒頭の一編「最後の授業」は、普仏戦争でアルザス地方がドイツ領に編入されたときのことを題材にしている。明日からはドイツ語で授業をしなければならないという最後の日、フランス語の先生は子供たちにフランス語は世界で一番美し言葉だと教え、忘れないようにと説く。そして最後に黒板に大きく「フランス万歳!」と書く、という話で、かつては日本の教科書にもよく見られたが、最近はすっかりみられなくなってしまった。それは、このドーデの作品の虚構が明らかになって来たためである。実は、アルザス地方で話されていた言葉はフランス語ではなく、もともとドイツ語の方言であるアルザス語であったという。つまりドーデの作品は「対ドイツ報復ナショナリズムのお先棒を担ぐイデオロギー的作品」だとされるようになったのである。<谷川稔『国民国家とナショナリズム』1999 世界史リブレット 山川出版社> 世界史の窓

城の外壁を見上げる
西側住居と庭を分ける堀に架けられた跳ね橋

オー・クニクスブルグ城の大修復は、居所としての利用ではなく「中世の博物館」にする目的で行われました。

21世紀の本日も何やら修復中の様子…絶景を望めるはずの窓からの眺め…^^;

ヴィルヘルム2世の指示による大修復は、Bod Ebhardt という建築家によって、実地調査に基づいて忠実に行われたそうです。修復は1900-1908年にかけて行われ、仕上げ作業やコレクションの買収は1918年(第一次世界大戦の終わり)まで続きました。

しかしながら第一次世界大戦でドイツは敗れますから、1919年のベルサイユ条約によってアルザスは今一度フランスの領土となり、ドイツ皇帝の財産でもあったこの城もフランスの管理下に置かれることとなりました。最後のプロイセン国王にして最後のドイツ皇帝となったヴィルヘルム2世(治世:1888-1918年)は、亡命先のオランダで1941年に亡くなっています。

城は1993年に改めて歴史遺産に登録され、所有権は2007年に Bas-Rhin 県に移されたそうです。

隣の窓から絶景を半分だけ堪能。
こういうの「矢狭間」っていうんでしょうか。何故か惹かれるんですよね。
屋根の上の小型の風車。なんだろう。
屋根と青空。
内庭南側の屋根瓦をズームアップ。

博物館としては、中世から30年戦争にかけての「武器の進展」を見ることができます。写真を載せられないけれど、槍の先端が様々な形をしていて興味深かったです。修復前の城の状態の模型も展示されていました。「旅行記」からは少し脱線しますが、中世の道具と武器の扱い方について、わかり易いのは、この動画です(英語)。

城の見学を終えたとき、少し周辺を散策しようかと思ったけれど、ちょうど1時間に1本のバスが出発する時間だったので、つい飛び乗ってしまいました。

セレスタ散策

15時過ぎにセレスタ駅に到着し、少し離れた市街中心地へ徒歩で移動、そして散策しました。観光案内所へ行こうか迷ったけれど、お腹が空いていたので適当なカフェを探すことを優先しました。

実は朝からずっと食事をするのを忘れており、16時にカフェでサンドイッチと珈琲をいただいたのが、この日最初の食事となりました(笑)

駅から少し離れたところに旧市街がある
井戸。童話の挿絵のような一角。
青空と教会の塔。
街並み。
立派なファサード…は、よく見るとペイント。
本日はじめての食事

明日は、ストラスブールから国境を越えてドイツのケールまでお出かけしたいと思います。

関連

旅行記 アルザス旅行2019
施設・レストラン・ガイド

haut-koenigsbourg…オー・クニクスブルグ城の開館時間、アクセスなど

書籍

アルザス地方の旅行から戻って購入した本(電子書籍版)。20世紀に行われたオー・クニクスブルグ城の大修復が「ヴィルヘルム2世」によるものと知って、皇帝に興味を持ったため。皇帝の生い立ちや性格が詳しく、感情移入しながら読み進めるうちに、当時の世界情勢や第一次世界大戦の流れを知ることができて嬉しかった。読み易い本でした。

ヴィルヘルム2世
著者:竹中 亨

公式紹介文:1888年にドイツ皇帝として即位したヴィルヘルム2世(1859〜1941)。統一の英雄「鉄血宰相」ビスマルクを罷免し、自ら国を率いた皇帝は、海軍力を増強し英仏露と対立、第一次世界大戦勃発の主要因をつくった。1918年、敗戦とともにドイツ革命が起きるとオランダへ亡命、その地で没する。統一国民国家の...

出版社:中央公論新社
発売日:2018年05月21日

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参考資料

9 centuries history | Haut-Koenigsbourg castle
House of Homberg | Wikipedia
Château du Haut-Kœnigsbourg Wikipedia…[*1]
Sélestat | Wikipedia