[12月]ファルケンブルフのクリスマスマーケット&古城

こんにちは。トオ子 です。

オランダ南端の町ファルケンブルフに行ってきました。立ち寄ったのは洞窟クリスマスマーケット、ファルケンブルフ城、サンタ村です。

冬のファルケンブルクは洞窟の中に店が並ぶ「洞窟クリスマスマーケット」が有名です。「市民洞窟」と「ベルベット洞窟」の2つの洞窟でクリスマスマーケットが開催されます。イベントの開催がない期間は、ガイドツアーで洞窟を見学できます。

ファルケンブルフ城はオランダでは珍しく丘の上に建つ城です。17世紀にやむを得ない理由でオランダ人自らが破壊し、現在は城跡が遺るのみですが、見応えがあります。

サンタ村は「おまけ」のような感じですが、洞窟マーケットのように入場制限等はないので、気軽に立ち寄ってクリスマスの雰囲気を楽しめます。

「ファルケンブルグ」と入力してサーチエンジンで検索すると、ライデンに近い「ファルケンブルグセ(湖)」がヒットする場合があります。クリスマスマーケットが有名なオランダ南端の町は「ファルケンブルフ」と入力すると出てきやすいようです。ちなみにフルスペルは「Valkenburg aan de Geul」です。

思い出保存と情報共有を兼ねて旅行記を綴ります。

適宜、読み飛ばしてくださいね。

本編…汎用的な情報 | …歴史のこぼれ話 | …個人的な感想文 | …行き方や公式サイトの案内

市民洞窟[Gemeentegrot]

クリスマスマーケット

石灰岩(ライムストーン)の洞窟に灯りがともされ、迷路のように連なる通路に売店が並びます。ヨーロッパでもっとも大きな「洞窟クリスマスマーケット」だそうです。1986年から毎年開催されていて、30年以上も続いている冬の大イベントです。

わたしは2018年12月のクリスマスマーケットに行ってきました。夜だったためか空いていましたが、翌朝にはチケット売り場に長い列ができていました。近郊から日帰りで来る人が多いのかもしれません。

チケットはあらかじめオンラインで購入することもできます。

今年はパンダ
ローマ時代の…?
オランダ語なので読めない
生クリームたっぷり
マーケットの様子
キリスト誕生のシーン

日記:店じまいしたそうなオバサン店主

どの売り場も楽しかったですが、夜遅かったためか、なかには早く店じまいしたそうなオバサン店主もいて、あからさまに無愛想な態度にちょっと興ざめしてしまいました。並ばなくてよく、動きやすかったのは良かったです。混んでいるときは、その活気が楽しいかも知れません。

洞窟入口(夜)
洞窟入口(朝)

その他の季節(通年)

クリスマスマーケット以外の季節には、洞窟ツアーが開催されています。洞窟の成り立ち、歴史、壁画や彫刻、空襲用のシェルターなどを見学するツアーに参加できます。

  • 通常ツアー[Individual entrance]
  • リバティツアー[Liberty Tour]
  • 隠れ家ツアー[Hiding-place through the centuries]
  • 体験宿泊[Old Hickory shelternight]

宿泊体験は、75年前(つまり戦時中)に、ここに潜んだ市民がすごした夜を追体験するという趣旨です。

歴史:採掘されつづけて2千年

この場所では2000年前から石灰岩が採掘されていました。ローマ支配の時代からすでに採石場として使われていたのです。石灰岩の採掘は19世紀後半まで続きましたが、計画的な採掘だけでなく、盗みによる危険な採掘もあったようです。

1500年頃からは泥灰岩の採掘もはじまり、20世紀半ばまで続けられました。

Gemeentegrot

石灰岩とは「炭酸カルシウムを50%以上含む堆積岩(石灰岩 limestone)」だそうで、泥灰岩とは「粘土成分と炭酸塩成分が混在する堆積岩(ぶどう畑の土壌 4 堆積岩)」だそうです。

この地は太古のむかし海の中にあったので、岩の中に貝殻を確認することができるそうです。

歴史:キノコ栽培・マスの養殖、戦争用のシェルターまで

20世紀に入ると洞窟はキノコ栽培所としても利用され、戦時中には武器を製造する工場になりました。また避難場所としても利用され、防空シェルターも設置されました。

Gemeentegrot

戦後はマスの養殖場、続いてチーズの熟成部屋、そしてミールワーム(チャイロコメノゴミムシダマシ)の飼育に利用されてきました。冷戦時代には、もうひとつシェルターが設置されました。1万5千人を収容できるという原爆用のシェルターです(!)

市民洞窟には上記2つのシェルターにくわえて、フランス革命時代のシェルターも設置されているそうです。これらのシェルターはすべて「Hiding-place through the centuries」という名の特殊なツアーで見学できるようです。

なお、この洞窟が市民洞窟[Gemeentegrot]と呼ばれるようになったのは、洞窟の所有権が市に移った1892年からだそうです。入口とシェルターは国定史跡になっています。

旅行インフォメーション

市民洞窟
Gemeentegrot

最寄り駅:Valkenburghttps://www.ns.nl/...valkenburg
Cauberg 4, 6301 BT Valkenburghttps://goo.gl/map...ywfGqxY9B8
クリスマスマーケット公式クリスマスマーケットの開催日時https://www.kerstm...nl/en/home  
公式ウェブサイト(通年)洞窟に入れる日や時間は季節によって変動https://gemeentegrot.nl/    

ベルベット洞窟[Fluweelengrot]

ベルベット洞窟のクリスマスマーケット

ベルベット洞窟[Fluweelengrot]

こちらのクリスマスマーケットは市民洞窟よりも売店の数は少なく規模はちいさめのもよう。

私は未踏なので詳しくお伝えできませんが「城に通じる、かつての秘密の通路」と聞いて、クリスマスマーケットそっちのけで入場したい気持ちが高まっています。

歴史:すっかり裏をかかれてしまった敵軍

この洞窟はファルケンブルフ城につながっています。城が包囲攻撃を受けたときには、騎士や歩兵がこの洞窟を通って外に出て、敵陣の背後から攻撃をしかけたといいます。この秘密の通路はもちろん籠城中の物資の補給にも使われました。

こんな話が伝えられています:

中世、ファルケンブルフ城をブラバント領の軍が包囲したときのこと。長期の包囲にもかかわらず城壁の中では祝宴が催されていました。不思議に思ったブラバント軍は、秘密の抜け穴から物資が補給されていることに気づきます。

しかもなんと、その物資こそ、ブラバント軍が留守にしているあいだに本拠地ブラバントから略奪されていたものだったのです。

歴史:洞窟のなかのチャペル(礼拝堂)

オランダは19世紀のはじめにフランスに併合されました。この時代、町の教会はつかえなくなりました。市民はこの洞窟の中にチャペル(礼拝堂)をつくり、毎週日曜日に集い、洗礼もここで行われました。ただし洗礼に用いる「水」は、家族が用意しなくてはならなかったそうです。

洞窟の中のチャペル

洞窟は第二次世界大戦中には、市民の隠れ場所としても使われました。同盟軍によって町がナチスドイツから解放されたあとは、野戦病院として、またアメリカ兵の休憩所としても使われました。

旅行インフォメーション

通年のオープン日時は月によってまちまちなので公式サイトで事前の確認をお勧めします。

ベルベット洞窟
Fluweelengrot

最寄り駅:Valkenburghttps://www.ns.nl/...valkenburg
Daalhemerweg 27, 6301 BJ Valkenburghttps://goo.gl/map...6G1iXJXXo9
公式ウェブサイトhttps://www.kastee...lvet-cave/  

  外部リンク  ベルベットの洞窟 | オランダから子供とおでかけ
2014年の3月にお子さんと一緒におでかけされた方の旅のレポートです。

ファルケンブルフの街(夜)

ファルケンブルフの夜景

夜の街歩き

洞窟をでたらすっかり夕飯時。食事を求めてさまよいます。

ファルケンブルフの夜景
クリスマスデコレーション

夕食

オランダでもベルギーやドイツに近い地域は食事が美味しいと聞きます…。オランダの食事は美味しくないというのが前提の言われよう^^;

ウサギのシチュー
牛の串射しステーキ

ファルケンブルフ城[Kasteel Valkenburg]

ファルケンブルフ城

ファルケンブルフ城[Kasteel Valkenburg]

国土のほとんどすべてが平地のオランダで唯一(!)丘の上に建っていたのがファルケンブルフ城です。城にはいくつか地下道への入口があり、ベルベット洞窟につながっていました。

現在の城跡のおもな部分は、14世紀以降に再建されたものです。城壁は2つの塔を備え、城は2つのウィングをもっていました。敷地内では、城が拡張される過程と在りし日の模型を見ることができます。

初期の城の模型
完成期の城の模型
城跡を散策
城跡を散策

オランダ人みずからが泣く泣く破壊した城

ファルケンブルフ城は長い歴史のなかで何度も包囲されました。破壊されては再建を繰り返しましたが、その最後となったのは17世紀です。1674年にオランダ人みずからの手で破壊することになりました。

それはフランス(ルイ14世の)軍がオランダを侵略*1したときのことでした。フランス軍は、効率よくオランダに侵攻するために、まずトンゲレンファルケンブルフの城(要塞)を押さえました(1672年6月)

*1 フランス軍のオランダ侵攻…スペインから独立して間もないオランダをフランスが侵略した戦争。先立つ南ネーデルランド(現ベルギー)継承戦争でオランダがフランスをけん制したことに対する報復。オランダ侵略戦争 | 世界史の窓

オランダは2年後にファルケンブルフ城の奪還に成功しますが、ふたたびフランスの手に堕ちることを防止するため、時の総督*2(ウィレム3世*3)が城の破壊を命じたのです。

*2 総督…オランダ共和国の軍事で一番えらい人。スペインとの戦争が終わったオランダでは総督職を設けない方針を採っていたが、英仏(+独司教)からの同時攻撃にさらされて市民が悲鳴をあげた「災厄の年」に総督職の復活が決まった。

*3 ウィレム3世…総督職を世襲していたオランイェ公爵家の嫡男。妻は、英ステュアート家のメアリ(王政復古期の英国王チャールズ2世およびジェームス2世の妹)。フランスの侵攻を食い止めたのち、イギリス名誉革命で担ぎ出され、妻メアリの女王即位に伴って英国王位に就いた人物。

その後、荒廃したファルケンブルフ城は何度か転売され、現在はベルベット洞窟とあわせて tichting Kasteel van Valkenburg が所有し保存に努めています。

立ち入り禁止区域もある

歴史:ファルケンブルフ城と領主の歴史

■12‐13世紀

この場所にはじめて城が建てられたのは12世紀(1115)のことです。木造の塔がファルケンブルフの領主によって築かれました。

領主は神聖ローマ皇帝ハインリヒ5世と折り合いがわるく、争ったために城は包囲されて破壊されました。皇帝の依頼を受けて攻撃を実行したのはブラバント侯の祖先にあたる人物でした。

城は再建されましたが、次代の領主も時の神聖ローマ皇帝コンラート3世と争いになり、城と城下町が破壊されてしまいました。

皇帝位がフリードリヒ1世(バルバロッサ)に引き継がれてからは、皇帝と良好な関係を築きます。ファルケンブルクの領主は息子を伴って、皇帝のイタリア遠征にも参画しました。

(この戦いで長男Gosewijn IIIは功績をのこしたようです。その栄誉としてイタリアのロンバルディア地方に付属する地域の管理を任されるなどしました。また Gosewijn III の弟フィリップはケルンの大司教の職に就いています。)

しかし Gosewijn III の息子の代で同家の男系が途絶え(1212)城を含む領地は女系を通じて他家へ相続されることになりました。

■14-15世紀

14世紀にはいると城に十角形の塔が建てられました。しかし今度は隣邦のブラバント侯(Jan III van Brabant)に攻められて徹底的に破壊されてしまいました。

これは、時のファルケンブルフ領主(Reinoud)がとても高い通行料を課したことが始まりでした。高額な通行料によってマーストリヒトの交易に損害がでたので、マーストリヒトの人々はその窮状をブラバント侯に訴えて助けを求めたのです。

途中に和約を挟みながら争いは10年におよび、1329年にファルケンブルクの領主が降伏して決着しました。

戦いのなかにはブラバント軍の支援を得たマーストリヒトの人々が大勝利をおさめたものもありました(1327年7月4日)。この勝利を記念する行事がつづく数世紀のあいだマーストリヒトの聖セルファース教会で行われていたそうです。

そんなわけで現在の城跡のおもな部分は、14世紀以降に再建されたものです。城壁は2つの塔を備え、城は2つのウィングをもっていました。敷地内では、城が拡張される過程と在りし日の模型を見ることができます。

1352年、ファルケンブルフを継承していた家系が途絶えます。最後の領主の死後、めんどうが起こった数十年を経て、1378年、ファルケンブルフはブラバント侯領に併合されることになりました(!)

■16-17世紀

ファルケンブルフ城はふたたび、16-17世紀の八十年戦争(1568-1648)*4ではげしく損傷しました。当時の新兵器「大砲・迫撃砲」の攻撃に耐えられなかったのです。城壁は破壊され、塔は倒れ、屋根は焼け落ちて灰になりました。

*4 八十年戦争…スペインの支配下にあったオランダ地方がスペインに反乱を起こして、結果的にオランダ(ネーデルラント連邦共和国)の独立に至った戦争。1568 – 1648年:八十年戦争を経てネーデルラント連邦共和国が独立

オランダ兵は城の再建を試みましたが成功しませんでした。まもなくフランスとの戦争(1672-1678)がはじまり、フランス軍に占領されてしまったからです。奪還したあとは、先述のとおり、再びフランス軍の手に渡ることを懸念してみずから破壊することになりました。

要所に解説板が配置されている

旅行インフォメーション

ファルケンブルフ城
Kasteelruïne Valkenburg

最寄り駅:Valkenburghttps://goo.gl/map...k8ATajLkx5
Daalhemerweg 27, 6301 BJ Valkenburghttps://g.page/Kas...burg?share
公式ウェブサイトhttps://www.kastee...urg.nl/en/  

サンタ村[Santa's Village]

サンタ村

駅⇔洞窟クリスマスマーケットの間に立ち寄りたいサンタ村

ファルケンブルフ市の中心の広場がサンタ村になります。シャレー風(アルプスの木造家屋)の建物がならび、スカーフやジャケット、手作り品の販売や企業の出店があります。

小腹がすいたら、あたたかいワッフルや、ドーナツ、チェロス、クレープを買うことができます。ホットチョコレートやモールドワインもありました。

モールドワインは、赤ワインに砂糖やたくさんのスパイスを入れてあたためたワインです。

旅行インフォメーション

サンタ村
Santa's Village

Theodoor, Theo Dorrenplein, 6301 DV Valkenburghttps://goo.gl/map...WGh5niKKj7
公式ウェブサイトhttps://www.santasvillage.nl/  

概要

1泊2日の行程

2018年12月金‐土曜日 天気:くもり/雨 気温:寒い

時刻内容
08:25 - 11:00[鉄道IC]アムステルダム中央駅 ⇒ マーストリヒト駅
[観光]マーストリヒト市内観光
[バス]鉄道(15分)もあるのに、なぜバス(28分)を利用したのか、記憶がない
19:25[宿]荷物を置いて、再出発
19:35[観光]市民洞窟 Gemeentegrot
21:00 ‐ 22:00[夕食]
11:00[宿]チェックアウト
12:00[観光]ファルケンブルフ城
13:00サンタ村 Santa's Village
14:00[鉄道]ファルケンブルフ ⇒ マーストリヒト ⇒ ルールモント
14:40[観光]ルールモント散策
16:00 - 17:22[鉄道]ルールモント ⇒ アムステルダム中央駅

地図

旅した国と地域

国:オランダ
地方 / 州:リンブルフ州
市町村:マーストリヒトファルケンブルフ