ムイデン城(マウデン城)へのおでかけ
アムステルダムから東へ15kmほどのところにあるムイデン城は、城としては小さな部類に入りますが、最初の建築が13世紀で700年の歴史があること、現存の状態が良いことから、重要なお城のひとつとなっています。
その佇まいはファミコン時代のドラクエのお城のようです。
もくじ
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700年の歴史を持つお城
1285年にホラント伯フロリス5世によって、城内に石造りの塔が建てられました。フロリスの父ウィレム2世が西フリジアン戦で亡くなったとき、フロリスは2歳だったため、摂政職を巡って争いが起きたそうです。成人したフロリスは権力の拡大を図り、多くの敵を作りました。
この城は司教区ユトレヒトへ続く水路の重要な場所に位置しており、通行する船から通行税を徴収したそうです。
「ユトレヒト司教にとっては、司教区を往来する船を調べる口実を与えることになるので、面白くない事態でした」…と、ガイドブックには書いてあります。
アムステルダムの住民の船については通行税の免除もあったそうです。
1274年に農民の反乱が起こります。これはフロリス5世の権力が増大することを快く思わない貴族などが、この反乱を支援しました。フロリス5世はやむを得ず、勇敢な地元農民を特権階級に引き上げて管理職に就けるなどしました。その結果、農民から大恩人とみなされ「百姓の神」と呼ばれるようになりました。既存の領主らは不満をさらに募らせました。
1296年に、フロリス5世伯爵は親しい貴族から狩りを口実に誘い出されて罠にかかり、自らの城に幽閉されます。農民のグループが彼を救い出そうとしたとき、貴族たちはフロリス5世を殺害しました。この陰謀にはイングランド王エドワード1世も加担していたといいます。
さて、そして、この城もいったん破壊されてしまうのです。
約70年後の1370年から、この城の再建が始まり、拡張もされました。オランダの黄金時代にあたる1576年には、塀と砦が強化されました。
城は歴史を通じて、要塞として機能し、中世の上流階級の住まいともなり(心地よいとは言い難かったようですが)、監獄としても使われました。
黄金時代にはPieter Corneliszoon Hooft (1581 – 1647)によって快適な住まい環境が整えられ、ロマン主義時代の19世紀には上流社会のサロンとして使われたようです。
そして1878年に国立博物館となり、3度の大修復を経て、現在では、黄金時代を再現する内装の部屋と庭が整えられ、中世の武器や防具が展示されています。
行き方
ムイデン城は公共交通機関を使って移動するには少し不便な場所にあります。
鉄道でWeesp駅まで行き、そこからバスに乗り換える(所要12分)か、徒歩(所要45分)で向かいます。
あるいはアムステルダムからバス(所要15分320系統)に乗って、Muiden, P+R terreinのバス停から徒歩(所要25分)でも行くことができます。
私たちはWeesp駅から徒歩で向かいました。途中で「OV-fiets の自転車をレンタルすれば良かった!」と気づきましたが、すでに行程を半分ほど歩いたところだったので、歩き続けました。
マイデン城
Muiderslot
Weesphttps://goo.gl/map...iU1hsXeKbA
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Herengracht 1, 1398 AA Muidenhttps://g.page/mus...slot?share
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