年表ベースでまとめた世界史ノートです。

ヨーロッパ編 / その他編

1464年:ソンガイ帝国でスンニ・アリが即位、領土を拡大

ETH-BIB-Grabmal von Askia, Gao-Tschadseeflug 1930-31-LBS MH02-08-0548 ☆
By Walter Mittelholzer – This image is from the collection of the ETH-Bibliothek and has been published on Wikimedia Commons as part of a cooperation with Wikimedia CH. Corrections and additional information are welcome., Public Domain, Link

西アフリカ(西スーダン) スンニ・アリの治世にソンガイ帝国は最盛期を迎えます。

ソンガイ帝国は15世紀後半から16世紀にニジェール川湾曲部を中心に西スーダンのほぼ全域を事実上支配した黒人の王国です。 帝国の歴史は、イスラム的な王の治世とソンガイ的な王の治世が、交互に繰り返されていました。 スンニ・アリ(在位1464–1493)はソンガイ的な王です。

スンニ・アリは30年を超える治世の中で1度も戦闘に敗れなかったと伝えられています。 金と塩をあつかうサハラ交易の支配権をにぎるために、マリに侵攻しトンブクトゥの町を掌握しました。

ソンガイ帝国の盛衰

Diachronic map of pre-colonial African kingdoms. ☆
By Jeff Israel (ZyMOS) – Own work, CC BY-SA 3.0, Link
ソンガイ帝国は15世紀から16世紀にかけて、西サヘルを支配した国です。 (西サヘルはサハラ砂漠南縁部に広がる半乾燥地域です。) ソンガイの国は11世紀からガオ(Gao)を中心にして存在していました。 帝国の領土を拡大したスンニ・アリは首都をガオに定めました。

ソンガイ帝国の主要な都はガオのほか、トンブクトゥ(Timbuktu)、ジェンネ(Djenné)があります。 これらは1468年および1475年に征服した地域で、都市交易の中心地でした。

スンニ・アリの死後は息子のスンニ・バルが帝位を継ぎますが、将軍の反乱によって帝位を追われました。 1493年からはアスキア王朝による支配がはじまります。

ソンガイ帝国の起源とあゆみ

The Timbuktu Manuscripts, with Arabic writings about mathematics and astronomy. ☆
By Unknown authorEurAstro : Mission to Mali, Public Domain, Link
13世紀の後半に、ガオを中心とした地域は重要な交易の中心地として発展し、マリ帝国の関心をひきました。 13世紀末にかけてマリ帝国はガオを征服します。 ガオは14世紀までマリの支配下に置かれました。

マリ帝国の崩壊がはじまると、ソンガイ人がガオの支配権を取り返します。 ソンガイの支配者は、マリ帝国が弱体化したすきをついてソンガイの支配域を拡大しました。

スンニ・アリの治世にソンガイ帝国は、富・領土・権力においてマリ帝国をしのぐ規模に発展します。 ついにはマリ帝国をも吸収し、ソンガイ人の歴史における最盛期を築きました。

王朝の交代、ソンガイのスンニ朝からイスラムのアスキア朝へ

Extent of the Songhai Empire, circa 1500. ☆
By No machine-readable author provided. Roke~commonswiki assumed (based on copyright claims). – No machine-readable source provided. Own work assumed (based on copyright claims)., CC BY-SA 3.0, Link
スンニ・アリの跡をついだのは息子のスンニ・バル(1492–1493)ですが、即位後まもなく帝位を追われます。 父の代からの将軍であったアスキア・ムハンマド・トゥレ(Askia Mohammad Ture)によってアスキア王朝が開かれました。

スンニ王朝はソンガイの伝統信仰を守る王朝でしたが、アスキア王朝はイスラム信仰を重んじる王朝です。 スンニ王朝スンニ・バルの代になって、イスラム教徒は、自分たちの権力の喪失や交易での損失を恐れました。 そこで将軍アスキア・ムハンマド・トゥレを擁して反乱を起こしたのです。

帝位についたアスキア・ムハンマドは、政治的・経済的な改革をおこない、国力の増強につとめました。 アスキア・ムハンマドの治世に、帝国の版図は最大になりました。

アスキア朝の衰退とソンガイ帝国の崩壊

Street market and the Great Mosque of Djenné ☆
By Devriese – Originally uploaded to Flickr as Djenné #2, CC BY 3.0, Link
しかしアスキアの後継者たちによって、帝国の情勢は不安定になり衰退の道をたどりはじめます。 アスキアの親族たちは帝国を統治しようとしますが、政治的な混乱と内戦が帝国の衰退をより確実なものにしました。 とくにアスキア・イシャク1世(Askia Ishaq 1539–1549)による残忍な統治期間に、この傾向は顕著でした。

アスキア・ダウド(Askia Daoud 1549–1582/1583)の時代に、帝国は安定し軍事的な成功をみます。 しかしながらアスキア・ダウドの跡をついだアスキア・イシャク2世(1588–1591)が、帝国の最後の皇帝となりました。

モロッコのスルタンであったアフマド・アル・マンスール(1578–1603)が、帝国にある塩鉱山からの税収を要求してくると、アスキア・ダウドは大量の金を贈ってこれをなだめていました。 しかし1590年、アル・マンスールはソンガイを征服し交易ルートを掌握すべく、帝国の内戦のすきをついて軍隊を送り込んできたのです。 ソンガイ帝国は、トンディビの戦い(1591)で壊滅的な敗北を喫し、崩壊しました。

ソンガイ帝国のあとにつづいたのはデンディ王国(Dendi Kingdom)です。 フランスに敗れる1901年まで存続しました。

Songhai Empire

タイトル:The Songhai Empire
公開者:AE LEARNING

抵抗の轍
著者/監督:新郷啓子

出版社/発売元:インパクト出版会
発売日:2019年11月

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英単語Quizlet
英語で欧州史をむための単語帳(随時更新)
外部リンク集
地図アスキアの墓
グーグル・マイマップ
歴史ソンガイ帝国
14世紀になると、アリー・コロン(Ali Kulun)という人物がガオに新王朝を樹立した。これが、ソンガイを大帝国に成長させる契機をつくったスンニ王朝のはじまりである。
人物スンニ・アリ
スンニ・アリは過去の王たちが行っていた略奪を目的とする侵略政策に代わり、領土征服政策に転換した。彼の時代のソンガイでは、法律による国家の統制と、平和に裏付けられた交易の確立が推し進められる。スンニ・アリは国内を州単位に区画し、それぞれの州に長官と司令官を配置した。
歴史サハラ交易
地中海経済は金が欠乏していたが、塩は供給することができた。他方、西アフリカの内陸部は豊富な金資源 (おそらくセネガル川上流の砂金) を持っていたが、塩を必要とした。
動画Trans-Saharan Trade Network
Trans-Saharan Trade Network
旅行記ゴンボゴンボの世界旅 マリ ① ・ MALI ①
旅の期間 2008年12月11日~2009年1月9日
旅行記西アフリカ マリのたび
砂漠の黄金都市トンブクトゥに強い憧れを抱き、相当の金と時間をかけて到達した私は、想像以上にさびれた街に愕然とした。