
|1469年|
ルネサンスの庇護者メディチ家、ロレンツォが当主になる
15世紀:ヨーロッパの歴史
年表ベースでまとめた世界史ノートです。
1469年:ルネサンスの庇護者メディチ家、ロレンツォが当主になる

イタリア / ルネサンス 1469年、20歳のロレンツォが、亡き父の跡を継いでメディチ家の当主になりました。 ロレンツォはメディチ家の莫大な富をもちいて、フィレンツェをルネサンス文化の中心地として築き上げました。
(メディチ家は)その財力でボッティチェリ、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ヴァザーリ、ブロンツィーノ、アッローリなどの多数の芸術家をパトロンとして支援し、ルネサンスの文化を育てる上で大きな役割を果たしたことでも知られている。 歴代の当主たちが集めた美術品などはウフィツィ美術館などに残され、また、ピッティ宮殿などのメディチ家を称える建造物も多数フィレンツェに残された。 これらは、メディチ家の直系で最後の女性アンナ・マリア・ルイーザの遺言により、メディチ家の栄華を現代にまで伝えている。 一族のマリー・ド・メディシスはブルボン朝の起源となった。Wikipedia
メディチ家は銀行を興して富を築き、のちにトスカーナ大公となった一門
☆ ジョルジョ・ヴァザーリ – Web Gallery of Art: 画像Info about artwork, パブリック・ドメイン, リンクによる
同家の繁栄の基礎は14世紀末に築かれました。 ロレンツォの曾祖父にあたるジョバンニが「メディチ銀行」を興し、教皇庁と商取引をおこなって、これを一流に育てたところから繁栄がはじまります。 (ジョバンニの父は羊毛商でした。)
祖父コジモは国外に多くの支店を出し、情勢を利用して莫大な富を築き、フィレンツェにおいておおきな影響力をもつようになりました。 政治的には表だったことを避け、新興の大商人の信望を得て、財力を武器に人脈網を確立したといいます。 病弱だった父ピエロを経てロレンツォの代には、「メディチ銀行」がヨーロッパ屈指の大銀行に成長していました。 ここにメディチ家およびフィレンツェは黄金時代を迎えます。
同家はロレンツォの子の代に、市民の反感を買ってフィレンツェを追放(1494 / 1527)されるのですが、教皇の地位を得て再興(1512 / 1523)したりと、揺れ動きます。 1523年にクレメンス7世として教皇の地位に就いたのはロレンツォの甥で養子のジュリオです。 彼はイングランドのヘンリー8世を破門した教皇です。
1532年、一族はついに貴族の称号を得ます。 ジュリオの子アレッサンドロが神聖ローマ皇帝からフィレンツェ公に叙せられ、さらに第2代フィレンツェ公コジモ1世は1569年にトスカーナ大公の称号を授かりました。
アレッサンドロの妹カテリーナはフランス王アンリ2世に嫁いでおり(フランス読み:カトリーヌ)、第2代トスカーナ大公の娘マリアもフランス王アンリ4世に嫁いでいます(フランス読み:マリー)。
奇行の主と呼ばれる第7代トスカーナ大公のジャン・ガストネが嗣子なしに没したとき家系が絶えました。 1737年のことでした。
小説 イタリア・ルネサンス2
著者/監督:塩野 七生
公職追放処分となったマルコは心機一転、フィレンツェへと旅に出る。しかしメディチ家が善政を敷いたかつての「花の都」は、いまや皇帝カルロスを後ろ盾にしたメディチ家の庶流アレッサンドロの独裁する傀儡国家へと堕していた。マルコはカルロスの間諜だった恋人オリンピアと再会を果たしたが、二人はメディチ家の泥沼...
出版社/発売元:新潮社
発売日:2020年10月28日頃
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当時の世界
英単語
- 英単語Quizlet
- 英語で欧州史をむための単語帳(随時更新)
外部リンク集
- 地図フィレンツェ
- グーグル・マイマップ
- 歴史世界史用語解説 メディチ家
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イタリアのフィレンツェの大富豪。共和政で強い発言力を持ち、15世紀にはルネサンスの芸術・学問の保護者となった。共和政が衰えた後はトスカナ大公としてヨーロッパの貴族の一員となる。
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- 旅行記イタリア旅行記(13)フィレンツェの歴史はかなり面倒くさいのですよ
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