年表ベースでまとめた世界史ノートです。

ヨーロッパ編 / その他編

1485年:テューダー朝のはじまり

Bosworth Battlefield Heritage Centre’s model diorama of the Battle of Bosworth Field, installed since its establishment in 1974.
☆By John Taylor, CC BY 2.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=6962378

イングランド テューダー朝
テューダー家のヘンリーが「ボズワースの戦い」でイングランド国王リチャード3世を破り、自らが王位に就いてヘンリー7世となりました。 ここからテューダー朝がはじまります。 ヘンリー7世の勝利は、イングランドの貴族同士で争われた「ばら戦争」に終止符を打つものとなりました。

ヘンリー7世は、敵陣であったヨーク家から妻をめとり、次期国王ヘンリー8世をもうけます。 黄金時代の女王エリザベス1世はヘンリー7世の孫にあたります。

ばら戦争とは

King Henry VII
作者不明http://www.marileecody.com/henry7images.html, パブリック・ドメイン, リンクによる
「ばら戦争」はイングランドの王位継承をめぐる、ランカスター家とヨーク家の争いです。 ランカスター家の家紋が紅ばら、ヨーク家の家紋が白ばらだったので「ばら戦争」と呼ばれるようになりました。

ばら戦争は1455年から1485年まで約30年つづきます。 この間に、玉座は取ったり取られたりします。 諸侯(貴族)も両極に分かれ、ときに寝返り、権力や政治的な思惑とともに、入り乱れて争いました。

最終的に勝利したのはテューダ家のヘンリーです。 ランカスター家の傍系ですが、血筋は母方からのもので、王位継承の順位は高くありませんでした。 それでも継承者として支持されたのは、上位の継承権者がこの戦争によって相次いで亡くなっていたからです。

ヘンリー・テューダーは、ヘンリー7世として即位すると、エドワード4世の王女エリザベス・オブ・ヨークと結婚してヨーク家と和解しました。 こうして新たにテューダー朝が開かれ、時代は近世へと移ってゆくのです。

薔薇戦争
バラ戦争 | 世界史の窓

タイトル:Wars of Roses 1455-1487 – English Civil Wars DOCUMENTARY
公開者:Kings and Generals

In this new Kings and Generals animated historical documentary, we will cover the Wars of the Roses, describing one of the first Civil Wars in English history.

ばら戦争中の王座の変遷一覧
ヘンリ6世
家系ランカスター
在位1422年8月31日 – 1461年5月4日
  • 精神に異常をきたす
  • 王妃マーガレットが国王支持派の貴族を束ねる
  • エドワード4世に敗れる
  • スコットランドに逃れる
エドワード4世
家系ヨーク
在位1461年3月4日 – 1470年10月3日
  • ウォーリク伯の支援を得て戴冠
  • のちウォーリク伯と不和
  • ヘンリ6世支持派の逆襲でネーデルラントへ避難
ヘンリ6世(復位)
家系ランカスター
在位1470年10月30日 – 1471年4月11日
  • 国王に代わり妃マーガレットが奔走
  • フランス国王ルイ11世、ウォーリク伯らの支援をとりつけ復位
  • エドワード4世支持派の逆襲で幽閉
エドワード4世(復位)
家系ヨーク
在位1471年4月11日 – 1483年4月9日
  • ブルゴーニュ公、国内貴族の支持を得て復位
  • 1483年死没
エドワード5世
家系ヨーク
在位(1483年4月10日 – 6月25日)
  • 父の跡を継いで即位するも…
  • グロスター公リチャード(伯父)に幽閉され、殺害される
リチャード3世
家系ヨーク
在位1483年6月26日 – 1485年8月22日
  • エドワード5世を殺害して王位を簒奪
  • ボズワースの戦いでテューダ家のヘンリーに敗れる
ヘンリー7世
家系ランカスター傍系(テューダー家)
在位 1485年8月22日 – 1509年4月21日
  • 亡命先のブルゴーニュから帰還
  • 貴族の支持を得てリチャード3世を破る
  • ヨーク家から妻をめとり、ばら戦争を終了
  • テューダー王朝が開かれる
空想の旅にでかける
地図ボスワース・バトルフィールド・ヘリテイジ・センター
この戦闘の後、「ボズワースの戦い」という名前が定着するまでしばらく、この戦いは「リドモアの戦い」(Battle of Redemore)と呼ばれていた。このことから、戦闘はアンビオン・ヒルではなく、同じ地域の葦の生い茂った(reedy)荒地(moor)(リィーディ・ムーア:reedy moor)で行われたものと推測される。この戦闘が実際に行われた場所の研究は長く続き、21世紀の初めまで続いている
リンク外部リンク集
参考資料・動画・旅行記・写真集などへのリンク集

図説テューダー朝の歴史
著者/監督:水井万里子

テューダー期のイングランド王国は、ヨーロッパ大陸の強国ハプルスブルク家スペイン、神聖ローマ帝国、フランスと対峙し、その外交手腕を問われ続けた。アイルランド王国やウェールズといった隣接諸国に勢力を拡大するなか、隣国スコットランドとの軋轢は激しさを増していく。宗教改革をめぐるヨーロッパ激動の時代、地...

出版社/発売元:河出書房新社
発売日:2011年05月

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ヨーロッパの歴史

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当時の世界
|1488年| バルトロメウ・ディアスが喜望峰に到達(ポルトガル) 15世紀:ヨーロッパの歴史
|1490年頃| シク教の誕生 15世紀:アジアの歴史
|1470年| インカ帝国がチムー王国を征服 15世紀:アメリカ大陸の歴史
|1467年| 応仁の乱(日本) 15世紀:アジアの歴史

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英単語Quizlet
英語で欧州史をむための単語帳(随時更新)
人物ヘンリー7世 (イングランド王)
ランカスター朝の系統のヘンリー7世は、ヨーク朝のエドワード4世の娘にしてリチャード3世の姪にあたるエリザベス・オブ・ヨークと結婚して王位を固め、薔薇戦争による混乱を解決した。テューダー朝を創立して24年間王位に座り、平和裏に息子ヘンリー8世に王位を継承した。
歴史薔薇戦争
百年戦争終戦後に発生したイングランド中世封建諸侯による内乱である。共にプランタジネット家の男系傍流であるランカスター家とヨーク家の、30年に及ぶ権力闘争である。最終的にはランカスター家の女系の血筋を引くテューダー家のヘンリー7世が武力でヨーク家を倒し、ヨーク家のエリザベス王女と結婚してテューダー朝を開いた。
訪問Bosworth Battlefield Car park
Bosworth Battlefield Heritage Centre tells the dramatic story of the Battle of Bosworth on Monday 22nd August 1485, which marked a major turning point in English history.
旅行記ボズワース古戦場跡のクチコミ | 中世の武器、戦場、戦略、そして裏切り
この施設ではイギリス史における関ヶ原の戦争の様子やリサーチの様子を知ることができます。この戦いでは一人の男が時の国王を裏切り、借金持ちだった外国帰りの青年に勝利をもたらしました。その男の名前はトマス・スタンリー。