年表ベースでまとめた世界史ノートです。

ヨーロッパ編 / その他編

1488年:バルトロメウ・ディアスが喜望峰に到達(ポルトガル)

Portuguese discoveries, exploration, contacts and conquests (from 1336 claim for Canary islands to 1543 Tanegashima arrival), arrival dates stated; main sea routes to the Indian Ocean (blue); Territories claimed under king John III of Portugal rule c.1536(green); English version
☆ By Descobrimentos_e_explorações_portuguesesV2.png: *Descobrimentos_e_explorações_portugueses.png: *Portuguese_discoveries_and_explorations.png: *Portuguese_Empire_map.jpg: Toklederivative work: Uxbona (talk) – Descobrimentos_e_explorações_portuguesesV2.png, CC BY-SA 3.0, Link

大航海時代 ポルトガル

ポルトガルの航海者、バルトロメウ・ディアスが大航海時代のヨーロッパ人として初めて喜望峰に到達しました。

バルトロメウ・ディアスの航海

Dias uitgebeeld op ‘n posseël van Suidwes-Afrika
☆ By FAK – http://www.afrikanergeskiedenis.co.za/pioniers/oorsig/, CC BY-SA 4.0, Link
バルトロメウ・ディアス(1450 – 1500)はポルトガル王室の貴族で、王室法廷のスクワイヤでもあり軍艦 São Cristóvão の航海士でもありました。 1487年、バルトロメウ・ディアスは、国王ジョアン2世に任命されアフリカの南端の探索にでます。

インドまでの交易路を発見することが目的でした。 また、プレスター・ジョンが統治するという伝説上のキリスト教王国を発見する任も帯びていました。

*1 伝説上のキリスト教王国(プレスター・ジョン
アジアあるいはアフリカに存在すると考えられていた。 大航海時代、銀や香辛料などの獲得といった経済的目的のほか、プレスター・ジョンの探索も探検事業の推進力となっていたと考えられている。

1487年10月に出航したバルトロメウ・ディアスの船団は、アフリカの西海岸を南下しつづけ、12月にはナミビアを通り過ぎました。 しかしまもなく激しい嵐に見舞われ、南西へ流されます。 13日後、嵐がやんでから北東へむけて舵を切りますが、陸は30日間見えませんでした。

1488年の2月~3月、船団はようやく Mossel Bay および Kwaaihoek(いずれもアフリカ南端、ケープタウンよりも東)に達します。

バルトロメウ・ディアスはインドへ向けて航海を続けることを望みますが、船乗りと士官はそろって帰還することを望みました。 このためポルトガルに戻ることになります。 喜望峰を発見するのは、じつはこの帰路の途中です。 1488年5月のことでした。

時代背景

アジアとヨーロッパの交易にはながらく陸のシルクロードが使われていました。 しかしオスマン帝国が勢力を広げ1453年にコンスタンティノープルが陥落すると、アジアへの陸路が安全ではなくなります。 また地中海の交易路はイタリアのベニスやジェノバに独占されていました。

エンリケ航海王子(1394 – 1460)
ポルトガル王国の王子で、主にパトロンとして大航海時代の探索に貢献しました。 大西洋を、西アフリカ、ガボベルテ諸島、現シエラレオネあたりまで探索し、風のパターンを知るなど、長い距離を航海するために必要な多くの知識を伝えました。
ディオゴ・カン(ca. 1452 – ca. 1486)
1480年代に2度の航海を行い、コンゴ川の河口まで、および赤道、さらに現アンゴラとナミビアまで南下しました。 2度目の航海中に死去しました。

Bartolomeu Dias

|1494年| トルデシリャス条約 15世紀:ヨーロッパの歴史
空想の旅にでかける
地図喜望峰 | 南アフリカ
1488年 – ポルトガル人バルトロメウ・ディアスが到達したものの、周辺があまりにも荒れる海域であったため、Cabo des Tormentas(嵐の岬)と命名。しかし、この航路の発見は香辛料貿易のルート短縮につながったため、後にポルトガル王ジョアン2世が「希望の岬」(Cabo da Boa Esperança)と改めさせている
リンク外部リンク集
参考資料・動画・旅行記などへのリンク集

図説ポルトガルの歴史
著者/監督:金七紀男

極東の島国日本まで航海に駆り立てた原動力は何であったのか?ヨーロッパ・ルネサンス文明の紹介者として世界各地に進出したポルトガルの壮大な軌跡。

出版社/発売元:河出書房新社
発売日:2011年05月

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500年以上も前に、バルトロメウ・ディアスという男がポルトガルからアジアまでの航海ルートを確立しようと旅立ち、結局様々なトラブルの末それは果たせなかったものの、引き返す中でこの喜望峰を見つけたという。

冒頭の写真:Dias uitgebeeld op ‘n posseël van Suidwes-Afrika ☆ By FAK – http://www.afrikanergeskiedenis.co.za/pioniers/oorsig/, CC BY-SA 4.0, Link